2015年04月13日 公開
2023年02月01日 更新
自ら“百年に一人の逸材”と標榜する強烈なキャラクターに加え、独自のマーケティング戦略で、人気・業績が低迷していた新日本プロレスを立て直したのが、棚橋弘至選手だ。
これまでにないタイプのプロレスラーである棚橋氏は、過酷な戦いの日々の中でも決して「疲れない」「落ち込まない」男としても知られている。その強靭なモチベーションの源泉はどこにあるのだろうか。
「2006年に初めてIWGPヘビー級王者になったときに考えたのは、新日本プロレスを変えようということでした。当時プロレスの人気は下火。売上げは年々落ちているのに、危機感を持っている人間が非常に少ない。それどころか『地上波の放送が深夜になったから仕方ない』とか『1回見てもらえれば魅力に気づいてもらえる』といった言い訳ばかりが聞こえてきました。じゃあ見てもらう努力をしているかといえば、していなかった。
そんな中で『プロレスはもう古い』とか『痛そう』といったイメージを変え、新しいファンを獲得するためのプロモーションができるのは、自分しかいない。その使命感で、僕は新日本プロレスの改革に取り組み始めました。
ただ、やはり『プロレスはかくあるべし』というイメージを持っているオールドファンが多い世界なので、改革しようとするとアンチも増えました。僕は見た目がどちらかというとチャラチャラしていますし(笑)。だいたい3、4年は“アレルギー反応”が続きましたね。
でも、業績が下がっているのに、同じことをやっていても状況が良くなるわけがない。絶対自分が正しいという確固たる信念がありましたから、どんなにブーイングされても凹みませんでしたね。頑固なんですよ。
実は、プロモーションをしていく上での一番の難敵は、アンチではありません。アンチ棚橋ということは、プロレスに関心がある人ですから。僕のことを嫌いなぶん、対戦相手を応援するのでプロレス全体にとってはプラスになります。
本当に難しいのは、プロレスに無関心な人をいかに振り向かせるか、です」
無関心な層に向かって情報を発信し、振り向いてもらうというのは困難な作業だ。大抵はスルーされてしまう。そこでもモチベーションが折れなかった秘訣は、強い確信だった。
「プロレスに興味・関心を持っている人は、日本人のせいぜい10%。ということは、残り90%の無関心な人こそが、新日本プロレスにとってのビジネスチャンスだからです。
そう考えて、たとえ相手にされなくても『下手な鉄砲』を数多く撃ち続けました。幸い、ラジオや雑誌といった媒体でプロモーションの企画が取れたのですが、それさえも無理になったら駅前でサンドイッチマンをやろうと思っていましたから。ここまで覚悟を決めてプロモーション活動に打ち込めたのは、『情報は伝わらない』ということが身にしみてわかっていたからでもあります。
地方会場での試合後、コンビニなどに立ち寄ると、僕に気づいて『あれ、棚橋選手、なんでここにいるんですか?』と声をかけてくださる方がいます。
ということは、公式HPや選手のブログ、ツイッターなどで何度も告知しているにもかかわらず、僕を知っているくらいのプロレス好きな方にさえ、当日近くで興行があるという情報が伝わっていないわけです。ましてや、プロレスファンでない人に至っては……という話です。
だからこそ、残り90%のビジネスチャンスにリーチするためには繰り返し繰り返し情報を伝える作業をしなければいけないし、それでも情報は伝わらないものなんだと痛感しました。この感覚がベースになっているので、プロモーションをしていくうえでの覚悟を持てるのでしょうね」
更新:11月22日 00:05