2013年11月13日 公開
2023年05月16日 更新
《『THE21』2013年11月号より》
ビジネスマンを主人公として、企業や組織、あるいは経済を描く小説は、城山三郎作品をはじめとして、長く愛されてきたジャンルだ。しかし、ここにきて、さらなる盛り上がりを見せている。きっかけは、今年7~9月に放送されたテレビドラマ『半沢直樹』のヒット(原作は『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組」〈ともに池井戸潤著/文春文庫〉)。それに先立つ『海賊とよばれた男』の第10回本屋大賞受賞も、1つの要因となっただろう。そこで、ビジネス書評家の土井英司氏に、「ビジネス小説がヒットする理由」「ビジネスマンにとってのビジネス小説の意義」についてうかがった。
「倍返しだ!」の決め台詞とともに始まる反撃と、痛快な逆転劇――銀行員が組織と戦うテレビドラマ『半沢直樹』(TBS系)は、この夏の大ヒット作となりました。そして原作者・池井戸潤氏の作品も、軒並みベストセラーとなっています。
ビジネスマンを主人公にした小説は、現在、大きな影響力を持つジャンルとして成長しつつあると言っていいでしょう。その背景には、日本人とビジネスとの関わりが昔よりも密接になったことが挙げられます。
昔の日本人は、会社員として目の前の仕事さえしていれば十分でした。しかし、今は終身雇用の保証もなく、経済全体が先行き不透明。その中で身を処していくには、自分のスキルを磨くだけでなく、働き手である自分の“巨大な受け皿”としてのビジネスの世界全体も知っておかなくてはならない。つまり、「情報を装備しよう」というニーズが高まってきたのです。
では、ビジネス小説は、それにどう応えているのでしょうか。大きく分けると、3つの役割があります。
まずは“疑問”に答えること。報道だけではわからない業界の内情や、関わる人びとの行動などをつぶさに知ることができます。
2つ目は、“不安”に答えること。描き出された世相をもとに、読者は、不透明な時代の先行きを自分なりに考えることができます。
そして3つ目は、組織や社会に対する個人の“不満”を描くことです。ビジネスの場では、個人の自由は制限されます。自分の信条とは違う行動を強いられることも、駆け引きや社内政治に巻き込まれることもあります。そのなかで、個人は理想や希望を求めてあがく。その姿に、読者は自分を投影できるのです。
さて、個々の作品を見ていくと、池井戸作品はとりわけビビッドに個人の葛藤を描き出していると思います。
私自身が最高傑作だと感じているのは(1)『空飛ぶタイヤ』。死亡事故を引き起こしたタイヤ脱落の原因をめぐって、巨大企業の圧力に抗う小さな運送会社の物語です。
シビアな展開が印象に残る(1)と比べ、(2)『下町ロケット』はロマンと希望にあふれたストーリー。小さな町工場が宇宙開発に夢をかけて部品を作り、大企業を向こうに回して戦う姿が描かれます。東日本大震災直後の日本人に勇気と元気を与えたと激賞された、直木賞受賞作です。
一方、個人の戦いと表裏をなすのは、組織の抱える問題、つまり腐敗です。
これも古くから多くのビジネス小説が取り扱ってきたテーマで、1963年の 『総会屋錦城』(城山三郎著/新潮文庫)では株主総会で暗躍する裏街道の人びとが描かれ、1965年の 『白い巨塔』(山崎豊子著/新潮文庫)では、人命を守るという理想とは程遠い医学界の体質が暴き出されました。
これらの舞台や題材は、時代によって変化を遂げます。
1997年に第1作が出た(3)『金融腐蝕列島』シリーズは、銀行を舞台にしつつ、日本全体を巻き込んでいく腐敗の様を暴き出した大ヒット作。2007年に完結するまでの計5作を通じて、バブル崩壊後の後始末、官僚腐敗、メガバンク統合など、時代ごとの様相が克明に描かれています。
国債未達の危機を描いた(4)『日本国債』も、当時の日本人の気分に合致したストーリーです。ITバブルの崩壊や急激な円安などを背景に“日本破産”の不安が高まっていた2000年、本作は大きな話題を呼びました。
(3)(4)の2作品は、書き手の立ち位置を念頭に置いて読むと、より楽しめると思います。(3)の作者・高杉良氏は元ジャーナリストとあって、社会の不正を暴き出す鋭さが持ち味。中身の見えない組織に外から切り込み、恥部を容赦なく暴き出すタイプの作者と言えます。
対して、(4)の作者・幸田真音氏はディーラー出身。当事者の立場からの現場感覚を活かして書くタイプの作家です。それだけにリアリティは抜群で、ディーリングルームの描写などは臨場感あふれるものです。
このように、ビジネス小説は作者のルーツを踏まえておくとより深く楽しめます。同じく腐敗を描くにしても、その業界に身を置いたことのある作者が描くと「どうか変わってほしい」という愛情が見て取れることも多々あり、ジャーナリスティックな視点に基づくものとは味わいが随分違います。
さて、これらの問題意識を喚起する話とは趣を異にするのが、(5)『小説 盛田昭夫学校』。ソニー・創業者の盛田昭夫氏と、その周囲の人びとの物語です。トランジスタ、テープレコーダーといった歴史的商品が創り出される過程がリアリティあふれる筆致で再現され、その瞬間に立ち会えたような感動を覚えます。往年のソニーの理想的な組織のあり方や、盛田氏のリーダーとしての姿勢に感銘を受ける読者も多いことでしょう。
更新:11月22日 00:05