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日本のフェミニズムが積み重ねた格闘の歴史 『フェミニズムがひらいた道』 【書評】

2025年10月28日 公開

大村壮太(作家)

上野千鶴子の『フェミニズムがひらいた道』は、日本のフェミニズム運動を半世紀以上にわたり理論的に牽引してきた大家が、その全史を次世代に向けて書き下ろした、画期的な総合的入門書である。

上野は社会学者として、またアクティビストとして、家父長制や資本主義と対峙する理論的武器を鍛え上げ、常に論争の的となってきた。その著者が、あえてNHK出版の「学びのきほん」というコンパクトなシリーズから、自ら「著者初の総合的入門書」と銘打つ一冊を刊行した意義は大きい。

本書執筆の動機は、#MeToo運動などの新しい波に触れた若い世代が、しばしば海外の事例や理論にのみ目を向け、日本のフェミニズムが積み重ねてきた固有の格闘の歴史を知らずにいることへの、著者自身の焦燥にあった。

本書は、その忘却に抗い、過去の世代が獲得した「言葉」と「権利」を、今を生きる人々へ確実に手渡そうとする、まさに思想的バトンとしての役割を担っている。その筆致は平易でありながら、核心を突く定義に満ちており、著者の長年の蓄積が凝縮されている。

 

フェミニズムは「弱者が弱者として生きることができる思想」

本書の最大の功績は、フェミニズムの歴史を単なる過去の記録としてではなく、現代的な課題意識から再構成し、そのアクチュアリティを鮮やかに示した点にある。

従来のフェミニズム史概説は、主に第一波の参政権運動や第二波のウーマン・リブやラディカル・フェミニズムの紹介に重点を置いてきた。本書の叙述が好ましいのは、そこにとどまらず、その後の複雑な動向、すなわち第三波と第四波のフォローにこそ力を注いでいる点である。従来はポストフェミニズムという曖昧な呼称の下で混沌と語られてきた動向を、本書は明快に整理する。

第三波における「Girlyフェミニズム」のような、消費社会やポップカルチャーを肯定し、個人のエンパワーメントを追求する流れ。そして、それに伴う理論的深化としてのインターセクショナリティ、すなわち人種や階級、セクシュアリティといった複数の軸で差別を捉え直す視点の登場。これにより、第二波が夢見た「Sisterhood is global」という普遍的な女性の連帯が、実際には多様な利害の対立を内包していたことが明らかになる過程を、本書は丁寧に記述する。

さらに第四波としての#MeToo運動を、SNSによるグローバルな被害の可視化として捉えるだけでなく、その背景にあるネオリベラリズムとの関係性にも言及する。すなわち、個人の「能力」や「選択」が強調される新自由主義的社会において、フェミニズムがいかにして構造的な問題を再び前景化させるかという、現代の最も興味深い論点までが射程に収められている。この現代性は、本書を類書から際立たせる大きな長所である。

本書が提示するフェミニズムの定義は、その思想的射程の広さと深さを示している。上野は、フェミニズムを「弱者が弱者として生きることができる思想である」と喝破する。これは、女性を男性と同等の「強者」にするための思想、あるいは強者になることのみを称揚するネオリベラリズム的な自己啓発とは明確に一線を画す、ラディカルな人間観である。

人は強者である期間よりも弱者である期間の方が長く、誰もが等しくケアを必要とする存在であるという著者の社会学的な知見が、この定義の背後にはある。

この「弱者の思想」という核は、著者が一貫して重視するもう一つの鍵概念、「状況定義権」と分かち難く結びついている。この視点には深く同意するほかない。状況定義権とは、それまで名前のなかった苦しみに名前を与え、個人の経験を社会的な問題として定義し直す力である。

本書が示すように、フェミニズムの歴史とは、まさにこの定義権をめぐる闘争の歴史であった。その最大の成果が、セクハラがNGであるという社会的合意の形成であり、被害者の語りが公的な場で可視化されるようになったことである。これらは間違いなくフェミニズムが残してきた巨大な達成であり、自然にそうなったわけではない。

本書は、こうした達成が第一波や第二波の忘れられつつある歴史の延長線上にあることを示し、読者に歴史への敬意を促す。その意味で、本書は今を生きる人たちに優しくバトンを託してくれる、稀有な入門書としての役割を見事に果たしている。

 

「弱者が弱者として尊重される」という大原則

むろん、これほど広範な歴史と思想を扱う入門書である以上、その射程には限界もある。一つだけ言うのであれば、本書は近年のフェミニズム内部における最重要の話題であり、最も激しい論争の的となっているトランスジェンダーアクティビズムとの関係性、そしてそれを受けたフェミニズムの今後について、正面からの言及は避けている。

この論点は、「女性」というカテゴリーそのものの定義権、あるいは「弱者」の定義をめぐる、まさに「状況定義権」の最前線であり、著者の見解を読みたかった読者も多いであろう。

しかし、著者が提示した「弱者が弱者として尊重される」という大原則こそが、この難題を思考するための土台となり得る。上野は、自らが切り開いた道を誇示するのではなく、その道を引き継ぎ、さらに新たな道を開拓するよう、読者の背中を静かに押す。本書で語られなかった論点も含め、すべては今を生きる世代に託された課題である。本書は、その重いバトンを受け取るための勇気を与えてくれる一冊である。

 

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