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伝説の「猪木vsアリ戦」の裏側で...初代タイガーマスクが忘れられない「師匠・猪木の涙」 

佐山聡,Gスピリッツ編集部

佐山サトル

1976年6月26日、日本武道館でアントニオ猪木vsモハメド・アリの『格闘技世界一決定戦』が行われた時、初代タイガーマスクは素顔の「佐山サトル」として1ヵ月前にデビューしたばかりの新人レスラーだった。後に自ら総合格闘技を作り上げる初代タイガーは当時、世紀のスーパーファイトをどういう思いで眺めていたのか?

※本稿は、『Gスピリッツ選集 第二巻 初代タイガーマスク篇』(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

道場で目撃した猪木のローキック特訓

最初に猪木さんがアリと戦うと聞いた時は「ホントにやるんだ...」と思いつつも、やっぱり誇りに思いました。

猪木さんがシリーズを休んで、藤原喜明さんたちと新日本プロレスの道場で練習していたのを憶えていますね。何をやっていたかというと、寝ながらのローキック。何発も何発もローを蹴っていた。グラウンドになれば簡単にアリに勝てるから、関節技はまったく練習していなかったかな。とにかく一生懸命に蹴飛ばしていましたね。

その頃、僕はもう打撃への意識が芽生えていたから藤原さんに言ったんですよ。「寝転んで蹴るより、頭から中に入っていって蹴った方がいいんじゃないですか」って。スタンドのまま前に出て、パンチを額で受けて、その代わりローキックを当てるという、いわゆる常套手段ですよ。

そうしたら、藤原さんに「うるさい!」と言われて。殴られたような気もする(笑)。僕はペーペーだったし、練習に参加するどころか口出しすらできる立場じゃなかったですから。

 

後の総合格闘技に繋がる「打・投・極」とは?

若手時代の佐山サトル
若手時代の佐山サトル

僕が打撃の重要性に気付いたのは、プロレスを始めてから。入ったばかりの頃は先輩たちにバンバン極められたけど、半年も経てば誰にも極められなくなるんですよ。そりゃ、そうですよね、関節技の練習ばっかりしているんですから。そのうち藤原さんの技も凌いで、逆に極めたりもできるようになる。すると自信が湧いてきて、「俺らが一番強い!」なんて思ってしまう。

でも、よく考えると「ちょっと待てよ。関節技を仕掛けるには、投げ技が必要なんじゃないか?」というところに行き着きますよ。当時の新日本ってタックルの技術はなかったですから。スパーリングは四つん這いから始めて、もう関節技の練習ばっかり。下になる方も交代で決めて、スタンドからは始まらなかった。なぜかはわからないけど、それが昔からのやり方なんでしょうね。

だから、僕は新弟子になる前にずっとレスリングをやっていましたけど、入ってからは一切レスリングの練習はやってないです。ただ、幸いにして自分にはレスリングの投げがあったし、そこで「投げ技の前に、タックルがあるな。その前の段階には、打撃があるな」となっていって、そっちの世界を覗きたくなったんですよ。

その頃は、新日本で誰も蹴りの練習はしていなかったですね。まあ、その時は「打撃を排除して、タックルに行ける体勢を作っていこう」と思ってキックボクシングの練習を始めたんですけどね。

 

アリを倒せなかった猪木が試合後に流した涙

当時は、どういう試合になるか想像もつかなかった。猪木さんはタックルに行かない。タックルに行けば簡単に倒せちゃうんですけど、ローキックだけだと試合がどうなるか見えなかった。ローキックは思いっ切りサンドバックを蹴り続けていたら上手くなるかというと、そうでもないんです。重要なのは、どう蹴るか。例えば、逃げながら蹴っても威力はない。頭から入っていって、急所をドーンと蹴らないと。

でも、スライディングしながら蹴るというのはアリには有効だったんじゃないですか。試合の後、アリは入院したでしょ?

確かにかなりの効果があったと思うんですけど、あの時は蹴る部分が膝の横とか裏だった。猪木さんがもう少し高いところを打っていたら、アリが倒れていた可能性もあると思いますよ。

一番効くのは、猪木さんが蹴っていたところのもうちょっと上。90発も打ったんですか? それだけ打って倒せなかったというのは、猪木さんが膝近くを蹴ってしまったというのとアリの精神力の強さかな。

今思えば、猪木さんはキックボクシングの先生に習えば良かったかもしれないですね。寝ての蹴りでもいいから、蹴りを当てる箇所、それに足のどこで蹴るかを習えば、また結果は違ってきたと思いますよ。

猪木さんはボクサーとはスパーリングしていましたけど、それはそれで非常に重要なんです。どういうタイミングで入っていくかという目慣らしという意味でも。

試合を見た感想? 興奮していたから、あまり憶えてない(笑)。猪木さんが肘を落とした時(6ラウンド序盤)、その場面で「やった!」と喜んでいた記憶がありますね。僕は試合の時はリングサイドにも付いていなくて、2階から見ていました。師匠に勝ってもらいたいし、猪木さんが勝つと信じていましたよ。

試合後、猪木さんが廊下の辺りで涙を流していたのを憶えてます。あれは印象的ですね。感極まった涙ではなく、悔しいというかマイナスのイメージの涙だったんじゃないかな。

このアリ戦、ウィリエム・ルスカ戦、モンスターマン戦、チャック・ウェップナー戦といった異種格闘技戦からは物凄く影響を受けていますよ。自分の身体の中で。ちゃんとした競技として総合格闘技を創ろうという気になりましたから、そういう点ではキッカケになっています。それは大きな意味でのキッカケのひとつであって、小さな意味でルールがどうのこうのという部分では影響を受けていませんけどね。

当時、アリ戦は批判されましたけど、僕は全然気にならなかったです。ルールで縛られていると聞いていましたし、まともに戦えば猪木さんが勝てると思っていましたから。

ただ、テレビの中継を見て、「どうして最初に"こういうルールです"ってテロップを流して説明しないんだ!」と怒った記憶がありますね。周りに一生懸命怒っていた。だから、そこは悔しかったのかもしれない。

 

初代タイガーが分析する猪木vsアリ戦の真相

猪木さんから直接、この試合の話は聞いたことがないですね。昔、猪木さんとはしょっちゅうスパーリングをしていましたけど、柔らかさがあって、アキレス腱は絶対に極まらない。あとは体重の乗せ方、テクニックも優れていました。スタミナも抜群でしたし、批判している人は「猪木は弱い」なんて言っているかもしれないけど、そんなことはないです。

アリはエキシビションのつもりで来日した。そうしたら、(右手でシュートサインを作り)コレだった。そこでアリ側はルールを考えた。寝技に秒数制限があって、関節技をやっちゃいけなくて、ハイキックみたいな危険な技はダメ。アリ側はタックルの禁止は忘れていたけど、タックルは猪木さんの頭になかった。一方、アリはローキックを想定してなかった。猪木さんはローキックで倒す予定だったけど、倒れなかった。

たぶん、真相はそれじゃないですかね? どの時点でシュートになったかは、僕はわからないですけどね。

プロレスというものは、あちらの国では見世物なわけじゃないですか。プロレスラーと戦うとなったら、向こうはエキシビションとしか考えていなかったと思いますよ。そもそも日本のプロレスがセメントの練習をやっていて、真剣に挑んでくるという発想がないはず。だから、アリ側はどういう試合か確認すらしなかったんじゃないですか。その中で実現したのが奇跡なんですから。この試合は、そこをちゃんと扱わないとダメですよね。

しかも、そこにボクシングの世界ヘビー級チャンピオンがいることが凄いところ。総合格闘技の"夢"という部分のルーツでもありますし、ぶっ潰れつつある総合格闘技の"町人拝金主義"の部分のルーツでもあると。だから、功罪含めて凄い試合だったんです。でも、猪木さんは町人拝金主義者ではないですよ。あの試合は、"プロレスの夢"を実現しようとしたわけですから。

この時代だったからこそなんでしょうけど、ボクシングの世界チャンピオンと戦おうという発想が素晴らしい。当時の新日本だったら相手がボクシングの世界チャンピオンだろうが、「俺たちが一番強い」と考えるのは当たり前。そういう試合だったら、絶対的な自信がありましたよね。僕だって新日本に入ったから、こうなった。ああいう練習をしていたら、当然ですよ。

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