2025年08月21日 公開
父親の急逝を受けて、一介の主婦から町工場の2代目社長になった諏訪貴子氏。100年に1度の経済危機と言われたリーマンショックも乗り越え、もがき苦しんだ末に、赤字だった会社の経営再建に成功する。「日本全国の中小企業を元気にしたい」を信念に動き続ける同氏に、リーダーとしての「考え方」を聞いた。(取材・構成: 林 加愛)
※本稿は、『THE21』2025年9月号より、内容を一部抜粋・再編集したものです。
――2004年、急逝された父上の跡を継いで町工場の経営を担い、赤字経営から優良企業へと変貌させた諏訪貴子社長。今日はぜひそのリーダーシップの秘訣を伺いたいです。
【諏訪】いえいえ、とんでもないです。32歳当時の私は、エンジニアの経験はあるものの、経営経験はおろか、リーダー経験さえない状態。最初はただ必死で、「必要だ」と思ったことを実行するのみでした。
――設備の一新や、生産管理システムのIT化など数々の改革が再建に結びついたのは、やはりご自身の手腕では?
【諏訪】運が良かっただけです(笑)。それも私自身の運ではなく、会社の運です。就任時から持っているのが、ダイヤ精機という会社自体が「生き物」だという意識です。会社を裏切るようなことをしなければ運がついてくる、と信じてきました。私自身に対する自信ではなく、会社に対する自信とも言えます。
――その自信で、経営難の逆境も乗り切れたのでしょうか。
【諏訪】そうですね。苦しかったのは、むしろ逆境を超えた後でした。就任半年でひとまず経営難を脱したとき、急に「経営者の孤独」が身に染みたんです。責任の重さや、誰にも相談できないつらさに悶々とした時期でした。あと、3年かけて経営再建を終えた直後も、目標を見失ってモチベーションが低下しました。
――そのときは、何が支えに?
【諏訪】新しい目標を掲げたことです。父の夢だった「中小企業の活性化」を2代目として引き継ぐ。そう決意した後は、再建時の当社の取り組みを公開したり講演活動を行なったりと、再び活動の意欲が湧きました。ダイヤ精機の所在地にして町工場のメッカである大田区はもちろん、日本全国の中小企業を元気にしたい。それは今も、私の信念です。
――「経営者の孤独」は、どのように乗り越えましたか?
【諏訪】クラシックバレエを習い始めたことが大きかったです。これは今も続けている20年来の趣味です。趣味というと軽く聞こえますが、仕事を忘れて頭をスッキリさせる時間は非常に大事。経営者に限らず、働く人全員に持ってほしい意識です。社員教育に使用している自作の教科書にも、「趣味を持とう」という項目を設けています。
――社員教育で趣味を推奨とは、ユニークですね。
【諏訪】教科書には「強く叱られている最中は魂を抜け」という項目もあります。叱られるのは見込まれている証拠でもありますが、心がダメージを受けては、元も子もありませんから。
――社員の皆さんのメンタルをとても大事にされていますね。2018年には上級心理カウンセラー資格も取得されています。
【諏訪】はい。そのとき学んだのは、人の行動の源に「考え方」があるということです。同じ事象に接しても、それに対する反応や行動は人それぞれ。なぜなら各々の考え方に基づいて違う感情が生まれ、それが行動に結びつくからです。得てしてリーダーは行動だけに注目して指導をしがちですが、必要なのは、考え方に寄り添う対応です。私はこれを社員との1on1に取り入れています。大元まで掘り下げたうえで、本人の関心の所在や望む姿を浮き彫りにし、目標設定に落とし込んでいます。
――深い対話になりそうです。
【諏訪】おっしゃる通りです。人数が少ないからできることでもあるので、今後も社員数は30人以上にはしないつもりでいます。
――会社をもっと大きくしたい、というお考えは......?
【諏訪】まったくナシです。小さいほうが目が届きますし、私自身もそのほうが楽しいですから(笑)。要は、町工場が好きなんですね。
――社員の成長に関しては、どのような働きかけをされていますか?
【諏訪】この会社で「稼いでいる」のはあなたたちだ、と常々伝えています。みんなが優れた製品を作り、社長はその対価を管理分配しているだけだ、と。「会社の価値をつくるのは自分」と各人が意識することで、責任感と自立心が育ちます。
――先代時代から、ダイヤ精機最大の強みと言われた「技術力」の継承についてはどうでしょう?
【諏訪】その点では、当社は特徴的です。多くの町工場ではベテランが若手に教える「師匠と弟子」方式が取られますが、当社は全体的に世代の若返りが進んでいるため、若手同士が技術を教え合います。2020年に大田区産業振興協会が主宰する「大田の工匠 技術・技能継承部門」を受賞した際も、全員が自発的に指導者の意識を持つ、新しい継承のかたちを評価していただきました。
――「教え合う」というのは、教える側が教わる側にもなるということですか?
【諏訪】はい。現場の作業は多種多様で、それぞれに高い技術が要ります。どこに熟達し、どこを知らないかによって、先生にもなれば生徒にもなるわけです。こうして相互にすべての技術を共有していくことで、皆が「多能工かつスペシャリスト」になります。さらには、思いやりと助け合いの意識も高まります。
――ハイレベルな技術と、温かさが共存する職場になりますね。
【諏訪】まさにその通りです。当社を訪れる方はよく、「職人さんが怖くない!」と驚かれます(笑)。よくしゃべり、よく笑う「和気あいあいの精鋭集団」です。
――次代のリーダー育成についても教えてください。昨今、管理職になりたがらない若者が増えていると言われますが、ダイヤ精機ではどうでしょう?
【諏訪】その傾向はないですね。当社ではリーダーになってほしいと社員に告げる際、「ご家族と相談して1週間後に返事をください」と必ず承諾を取るのですが、断られたことはないので。
――リーダーになった方々には、どのような教育を?
【諏訪】社員教育用の教科書の2冊目に当たる、リーダー教育用のテキストを使用します。毎週リーダー層が集まり、1ページずつ読み合わせをしていきます。
――こちらも、諏訪社長ならではのユニークな教えが満載ですか?
【諏訪】いえ、私は長らくリーダーを自己流でやってきてしまったので、自分のやり方を一律に当てはめてはいけないと思っています。遅ればせながら「リーダー論」の本を紐解き、様々なリーダーシップのかたちを学びつつ、通底する部分を伝えるよう意識しています。例えば、「耳に届く言葉を語れる人」であること。ネガティブな言葉は決して発してはいけない、と教えています。
――苦しいときでも前向きに。
【諏訪】はい。関連して「嫌なことがあっても引きずらないこと」という項目もあります。ここを読み合わせたときに驚いたのが、「難しい」「自分はできていない」という反応が多かったこと。ここも前述の「考え方」を掘り下げながら、意識転換をサポートしていきたいところです。
――リーダーの方々に持っていてほしいと思う資質はありますか?
【諏訪】「不透明な未来に楽しさを感じる力」です。たとえ、「この先どうなるの!?」という苦境にあっても。
――ピンチのときにポジティブでいるのは難しそうです。でも諏訪さんは、そうされてきたのですね。
【諏訪】はい。リーマンショックで受注が激減したときもそうです。非常に苦しかったですが、とにかくできることを全力でやるのみ、と腹を据えて、あとは楽しみました。働こうにも仕事がないので、社内フットサルチームをつくって取引先の方を試合に誘ったり、工場の整理整頓をしたり。その延長で、工場の2階をバレエスタジオに転用したところ、大きな収益が出ました。
――その柔軟なアイデア、どこから生まれてくるのでしょう?
【諏訪】そうですね。私は一見、勢いに任せて行動しているようで、実は理詰めで動いているところがあります。例えば、日ごろ会社の課題として「△△だから○○できない」と思っていたとしますね。でもそれは、別の局面ではチャンスに変わります。リーマンショック時の場合で言えば、「時間ができたから、普段できないかたちでのコミュニケーションが取れる」とか、「世の中リストラで人材が余っているから採用のチャンスだ」、というふうに。
――課題というとつい「悩みの種」と捉えがちですが、そういう見方や超え方があるのですね!
【諏訪】そうなんです。私は「悩む経営」ではなく「迷う経営」をしようと思っています。日ごろから課題を意識し、「△△でなくなれば○○できる」という選択肢をいくつか持っておけば、いざというとき「どれにする?」と思えますね。「やる」ということは決まっているから、どれをやるかで迷うだけです。でも「悩む」だと、ただ足が止まり、時が止まるだけ。それは経営者として避けたい事態です。会社という生き物の血流を止めないために、これからも常に選択肢を持ち、迷いながらも動き続けていきたいですね。
更新:08月28日 00:05