
日々、多忙なビジネスパーソン。限られた時間の中で、いかに効率良く知識や教養を身につけるかは、常に頭を悩ませる問題だろう。本連載では、そんな悩みを抱えるビジネスパーソンに、スキル向上に役立つ書籍を厳選してご紹介する。今回は、菊澤研宗著『組織の不条理』(中央公論新社)を取り上げる。

近代経済学が前提とする「完全合理的な人間」は、現実世界では果たしてどこまで通用するのだろうか。企業や官公庁、そして軍隊でさえ、意思決定には常に情報の非対称性や心理的要因が絡む。
本書『組織の不条理 ― 日本軍の失敗に学ぶ』は、そんな"限定合理的"な人間の行動から、組織がいかに「不条理」に陥りうるかを実証的に描き出す名著だ。戦史研究に基づく組織論として『失敗の本質』と並び称される一冊である。
著者の菊澤研宗は、新制度派経済学という枠組みを用いて日本軍の戦史を分析する。この学派では、情報が不完全な中でも自己利得を求める"機会主義的"行動をする人間を前提に、(1)取引コスト理論、(2)プリンシパル=エージェント理論、(3)所有権理論の3つの概念を軸に据える。
それらを日本軍の実態に当てはめることで、一見「非合理的」と評される作戦が、じつは「限定合理性」ゆえの当然の帰結だった可能性が浮かび上がる。
ガダルカナル戦における白兵突撃の例は、ビジネスにも通じる教訓を含んでいる。
日本陸軍が明治以来、白兵戦に最適化して装備・教育を整備してきたという"歴史的経路依存性"の存在は、いわば巨額のサンクコストを生み、途中で作戦方針を大胆に切り替えることを困難にしていた。
組織が過去の投資や慣行に縛られて柔軟な意思決定を阻まれる様は、経営の現場でもしばしば目にするところではないだろうか。既存の制度や人材配置、取引先との関係を手放すにはコストも説得も必要だ。
わずかな成功の可能性に賭け、従来路線を踏襲する方がむしろ"合理的"と見えてしまう――そこに組織の不条理が潜んでいる。
さらに本書では、戦争末期に日本軍が部分的に分権的組織へ移行し、硫黄島や沖縄の戦いで新たな戦術が試みられた点も紹介される。
画一的な中央集権制から離れ、現場レベルで最適解を探る分権型への移行は、現代ビジネスにおける事業部制やフラットなマネジメントへの示唆としても興味深い。局面によっては分権型が適切だと判断する"限定合理性"のあり方を、菊澤は緻密に論じている。
私たちの組織も、歴史的に積み上げてきた慣行や投資、メンバー間の力関係が大きな影響を及ぼしているはずだ。だからこそ、本書は「過去にとらわれて柔軟性を失うのは、不条理でありながら、ある意味で"当然"でもある」という冷徹な洞察を投げかけてくれる。
企業が激変する環境に合わせて変革を進めようとするとき、このような「限定合理性」を前提とした視点は大いに役立つだろう。
組織論や経営戦略に携わるビジネスパーソンにとって、本書は過去の悲劇から学びつつ、未来へ踏み出すための強力な指針となるはずだ。
更新:04月19日 00:05