2025年01月22日 公開
2025年01月22日 更新
ビジネス環境の変化の加速とともに人材不足が深刻化する中、どの企業もかつてないほど真剣に組織開発や人材マネジメントに取り組んでいる。しかし、それらの取り組みは本当にうまくいっているのだろうか。
本連載では、衰退する組織が陥りがちな失敗パターンや、環境が変わっても失速せずに戦い続ける組織づくりのポイントを、人財育成・組織強化支援に取り組む坂井風太氏に聞く。
最終回となる本稿では、「成長する組織の人事部がやっていること」について紹介する。
※本稿は、『THE21』2024年9月号より、内容を一部抜粋・再編集したものです。
この連載ではこれまで、衰退する組織に見られる共通点や、流行のマネジメント手法が陥りがちな罠について紹介するとともに、真に組織の成長を促すために必要なことについて考えてきました。私は、組織の成長のために必要なのは「マネジメントの民主化」だと考えています。
マネジメントの民主化とは、人材育成やマネジメントにまつわる理論を、経営陣やマネジャー層だけではなく、人事部、さらにはメンバー全員で共通言語化することです。そうすることで、人事部はこれまで現場マネジャーに丸投げしてきたメンバーの育成を理論でサポートすることができるようになるし、メンバーは理論を活かして自ら成長できるようになります。
このマネジメントの民主化を推進するためには、人事部に強いリーダーシップが必要です。本気で成長する組織を作りたいなら、まずは人事部にリーダーシップを発揮できる人材を入れましょう――これが、前回の結論でした。
最終回となる今回は、人事部が強力なリーダーシップを発揮して、組織変革を推進している実例をご紹介したいと思います。
お話を聞いた人:(株)ワン・コンパス コーポレート部 GM兼CHRO 大橋理恵さん
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【坂井】昨年、ワン・コンパスの組織強化の支援をさせていただきました。お声がけいただいた背景として、どんな組織課題を感じていたのでしょうか。
【大橋】ワン・コンパスは、2019年にインターネット地図を運営するマピオンに、親会社の凸版印刷(現・TOPPAN)が運営する「Shufoo!」という電子チラシの事業を承継し、社名変更する形で設立された会社です。
TOPPANグループの中でもテックリードカンパニーという位置づけで、戦略的に投資してインターネットビジネスを加速度的に拡張させるミッションを担っています。もとは異なる2社の社員が一緒に仕事をしていくにあたり、お互いの文化の違いを理解し、融合させていくことがまずはとても重要でした。
外部からの支援ももらいながら、新たなMVV(ミッション・ビジョン・バリュー)を作り、それを掲げて事業に取り組むことになりました。ところが、おかしなことに気がつきました。というのが、そのMVVが、社員の中にうまく浸透していなかったのです。
【坂井】大橋さんはなぜそのことに気がついたんですか?
【大橋】設立当初、既存事業は好調でしたし、新しいことにも果敢に挑戦していく文化を作っていこうと、上層部を中心に社内を盛り上げる施策をあれこれと試していました。
ですが、サービスの数が多く、自社の強みがどこにあるのか、事業の柱とするものは何か、それを支える文化がどういう在り方でいたいのか、といったことが整理しきれておらず、社員も混乱していたように思います。
事実、退職者も出ました。その理由の一つとして、「MVVへの共感が低い」というような声が上がったこともあります。
新会社を設立し、新たなMVVを作成して、すぐに社員に浸透するかというと、やはりそうはいかないものです。私も含め、自分事化するのに努力を要していた社員は、実際多くいたんじゃないかと思います。
代表の早川(早川礼氏・現代表取締役社長CEO)自身も、知り合いの経営者からアドバイスを受けたり、自ら情報を取りにいくために様々な場所へ足を運んだり、試行錯誤を繰り返していました。けれど、問題の根本的な部分にアプローチできないまま時間が経っていき、空中戦に投資をして徒労に終わることも少なくありませんでした。
私は「2社の社員が融合していくためには、基盤の部分をちゃんと整えないと、表面的な施策ばかりでは、何も変わりませんよ」と言い続けてきたのですが、ちょうど坂井さんのツイート(現・X)にも同様のことが書かれているのを見て、興味を持ちました。それで、これはもしかしたら、何かが変わるきっかけになるかもしれない、と思い、一度お会いしてみたい、ということになって、お声がけさせていただいたんです。
【坂井】いま、「基盤」と「施策」という言葉を使っていましたが、大橋さんはその2つをどう区別されているのですか?
【大橋】私は、一つの課題に対する具体的なアプローチのことは施策と呼んでいます。エンゲージメントが下がっているから、みんなでワークショップをやりましょう、といったものですね。
対して基盤は、働く人のマインドセットの部分です。この会社で働く意味や自分の仕事を、会社の理念やミッション、ビジョンと結びつけながら、自分の言葉で語れる状態になっているかどうか。それができていれば、多少事業の内容や方針が変わったりしても、それなりにうまくはまっていくと考えています。
逆に言えば、そうしたマインドセットができていない状態では、どんな人事施策を導入しても、空振りに終わってしまうと思っています。特に、「なんか流行っているから」「なんか良さそうだから」という理由で押しつけられる施策が一番嫌ですね。それが自社のどの課題にアプローチしているのかもわからず、コストだけがかかっていくと思っています。
【坂井】これはずっと疑問なんですが、なんで人事領域ではそれが起きやすいんでしょうか。DXも人的資本経営もエンゲージメントサーベイも全部そうなんですが、人事のコンセプトが独り歩きして、みんなそれが本当に自社に必要でフィットするものなのかどうかを精査せずに模倣して自滅していく。なんでなんだろう、と思っていて。
【大橋】坂井さんにはそんなことないよ、と言われてしまうかもしれませんが、人事の領域では、成果が定量化されにくいからだと思います。やっていることの成果がすぐには出ないと言うか、いつ、どんな手応えが得られるかわかりにくいと思っていて。だから、常に最適なものを求めて、あれこれ試したくなってしまうのかな、と。
手応えがつかめていないときに、解決策を求めて新しいものを使ってみて、やっぱりだめだった、ということは私もけっこうあります。
【坂井】だからすぐに新しいコンセプトに飛びついたり、他社の水準でものごとを測ったりしがちなんですね。結果パッチワークになってしまう。
【大橋】「その問題はこれで解決できます」と言われて飛びついてみたけど、全然思ったような成果が得られなかった、ということは人事領域ではよくあると思います。だから私は、「これさえあれば解決」と言われると、嘘だろうと思ってしまう。
【坂井】同感です。マネジメントには正解がある、というのも、私は嘘だと思っています。引き出しがあるだけなんですよね。
【坂井】さて、大橋さんはそんな状態から、どうやって組織を変えていったんですか?
【大橋】リーダークラス以上から社長までが、4チームに分かれて坂井さんの研修を4カ月受けたんですが、その間にチーム内で何度か交流会をしました。
研修で学んだことの中で、どの部分に対してどういう思いを持っているか意見交換をしたりして。それによって、人材マネジメントにまつわる理論が、リーダークラス以上のマネジメント層における共通言語になったということが、まず大きかったと思っています。
ある程度人事領域に長くいると、例えば自己効力感とか組織効力感といった人材開発ワードになじみがありますが、そうでないと、マネジャーを務めていても、「聞いたことはあるけど、意味はよく知らない」というワードもありますよね。それが、みんなで坂井さんの講座を受けることで、みんなが同じ認識、同じレベルでマネジメントの課題を語れるようになりました。
マネジャー同士のコミュニティの中でも、日常的に坂井さんから学んだ理論や言葉を使って対話をしようというふうにしているので、どんどん自分たちの言葉にも落とし込まれています。
これによって、マネジャー同士のコミュニケーションはもちろん、マネジャーから社員への声掛けが変わり、社員側の仕事に対する姿勢や意識も変わってきました。
「暮らしに寄り添う、イノベーションを。」というフレーズは設立当初から変わっていませんが、組織のコミュニケーションの質が変わったことで、いまは多くの社員が、ワン・コンパスのサービスや、その中で自分が担っている仕事を、MVVと結びつけられるようになっていると思います。
また、研修内容がマネジャーたちに響いた要素の一つとして、学術的に証明されている、誰が聞いても理解・納得できる理論が、トレーニングの中に散りばめられていた、ということもあると思います。
これまで受けてきた研修では、「こんなマネジメントはどうでしょうか」と、過去の事例にフォーカスしてグループ内で意見交換するようなものが多かったんですが、それだと参加者が自分の経験則だけでものを言うことになってしまう。経験がある人はそれらしいことを言う一方、マネジャーになりたての人は「僕まだ経験ないんで」ということになってしまうんですよね。
【坂井】理論がないと対話は深まらないし、組織現象を同じ目線で見られないから、あんまり意味がないですよね。
【大橋】まさに。私自身もそうですし、ワン・コンパスのマネジャーたちには、理論を用いた対話がすごくはまりました。
ちょうど先日も、全社員サーベイの結果を見ながらマネジメントの振り返りをしたのですが、「自分のグループはここのスコアが低かったんだけど、振り返ってみたら、たしかにこういうことができていなかった」と、マネジャーたちが教科書を見ながら振り返るんです。全員が共有された理論をもとに、反省やアドバイスができて、とても建設的な対話になりました。
【坂井】いまでこそ、大橋さんが主体となって導入した研修で、ワン・コンパスのマネジャー層の意識やコミュニケーションが変わっていることが伝わってきますが、冒頭のお話によると、孤軍奮闘されていた時期もありますよね。よくリーダーシップを貫けたな、と感心しますが、大橋さんが人事責任者として大事にしていることを挙げるとしたら、どんなものがありますか?
【大橋】最上位にあるのは、とにかく事業を成功させることです。事業のための人事だと思っているので、事業のためにならない施策は、過去にどんな成功体験があったとしても切り捨てる、というふうにしています。
そして、色んな施策を実行するにあたっては、事業部の皆さんに対するリスペクトを絶対に忘れないようにしています。
あとは、謙虚な姿勢で学び続けること。知識や経験は、使い続けて、アップデートし続けていかないとすぐに腐っていきますし、私が知らないことを知っている人、経験していないことを経験している人は、年齢や性別や立場は関係なく自分にとっての先生として、無条件にリスペクトできるようでありたい。色んな人から色んなことを学び続けて、それを仕事に活かしていきたいですね。
【坂井】この連載の第3回で触れた「知的謙虚さ」ですね。自信がありすぎると人の話を聞かなくなってしまうし、自信がなさすぎると自己効力感がないので、新しいことを開拓できない。
大橋さんは、自信があることは覚悟を持って決断するけれど、一方で、誰もが自分にとっての先生になり得るという謙虚さも持っている。この両方を持っていることが、知的謙虚さです。いいリーダーの姿だと私は思います。
【坂井】と言いつつ、気になるのが、事業部へのリスペクトの話です。忙しい事業部に負荷をかけまいと忖度するあまり、結局事業部の人を巻き込めなくて、研修などの施策がかえって意味のないものになってしまう、ということがよくありますよね。
【大橋】あれは結局、人事部が、事業部に寄り添っているつもりで寄り添えていないから起こることだと思っています。人事部として会社の事業に本気でコミットするなら、事業部を巻き込む必要があります。そのためには、事業部にちゃんと施策の内容や目的を説明して、「こういう結果を出したいので、ぜひ一緒にやりませんか」と対話をして、協力してもらわなければなりません。
もちろん私にも、「忙しいのにこんなことをお願いしたら迷惑になるかな」と思う気持ちはあります。けれど、それをやる意味を本当に信じているから、欲しい結果を得つつ簡素化できる部分を考えたりもするし、それでもやっぱり必要な工程だと思うなら、それをきちんと事業部に説明して理解してもらう努力もするようにしています。私自身が評価されなくても、それが長期的に会社のためになるなら、それでいいんです。
【坂井】そこなんですよ、大橋さんのすごいところは。本当に大事なことを見定めたら、困難があっても諦めずにそこに到達するルートを探し続けますよね。組織課題にメスを入れようと思ったら、ハレーションが起きるのは当たり前だと思っている。そして、「ハレーションを受け止めて、結果で返すこと」が役割だと考えていますよね。
【大橋】ただ、ここ半年ほど、人事部に新しい社員を入れたいと思っているのですが、面接をすると、「事業にコミットしたい」という言葉が出てくることはほとんどありません。
「人材教育で会社を良くしていきたい」「制度を整えてもっと働きやすい会社にしていきたい」といった言葉は出てくるんですが、「じゃあ、どうしてそうしたいのですか?」と聞くと、「そういう経験を積んでみたい」と、矢印が自分に戻ってきてしまう人が本当に多くて。
でも私は、「やりたいこと」は、会社の成長に結びつくものであってほしいんです。少なくとも、私はそういう姿勢で人事の仕事と向き合っています。
【坂井】その思いがないと、流行りのコンセプトやツールに飛びついたり、簡単に諦めて説明しやすいところに逃げたりして空中戦を繰り返し、「やっている感」は出しているけれど、組織は何も変わらない、ということになってしまうわけですね。
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組織の成長を促すために経営陣や人事部が真にやるべきことは、制度の形を整えることではなくて、組織の中身を変えて、従業員全員が事業にコミットできるようにすること。それは難易度の高い仕事だけれど、大橋さんのような、ブレないリーダーシップを持って事業部を巻き込む人材が人事部にいれば、決して不可能ではない――そんなことが、よくわかっていただけたのではないでしょうか。
更新:02月23日 00:05