2012年07月27日 公開
2022年05月24日 更新
ワーク・ライフ・バランスという言葉が定着する一方で、過労死や職場で追い詰められての自殺も後を絶たない。
「簡単に諦めてはいけない」というのも正論だが、そこまで追い詰められるくらいなら、ときには逃げることも必要だ。
この連載では香山リカ先生に、上手なタイミングでうまく「逃げる」方法を教えていただこう。
そもそも、現代人はなぜ逃げるのが下手なのか?香山先生によると、「匿名の時間を失った」ことと関係しているという。
※本稿は、『THE21』2012年8月号 連載・新ワーカホリック世代の「逃げる技術」より、内容を一部抜粋・編集したものです。
限界を越えているのに我慢して働き続け、心のバランスを崩したり、体調を悪くしてしまう人がいます。会社が一生面倒をみてくれる時代ではないのですから、心や身体を悪くするくらいなら、逃げることも考えたいところです。
一方、最近ではそうしたいわば"社蓄"的働き方と対極にいる"ノマド"が注目を集めています。組織にも頼らず働く彼らは一見、自由に映ります。ただ、彼らはほんとうに逃げることに成功したのでしょうか。
たしかに、組織のしがらみからはフリーになったのかもしれません。しかし、組織から抜け出した代わりに、別のものにからめ取られて自由を失っているような気がしてなりません。
逃げるとは、いったいどういうことなのか。それを考えるとき私の脳裏に真っ先に思い浮かぶのは、1980年代半ばに一世を風靡した浅田彰さんの『逃走諭 スキゾ・キッズの冒険』です。
ニューアカデミズムの旗手だった浅田さんは、フランス現代思想を下地にして、既存の価値観から軽やかに逃げることを説きました。時代はバブル前夜。逃げろというメッセージは、漫画『巨人の星』に象徴されるような高度成長期のがむしゃらさに対するアンチテーゼとして、当時の若者に圧倒的な支持を受けました。
浅田さんをはじめニューアカデミズムの批評家たちは、フランス現代思想のスター、ドゥルーズに影響を受けています。ドゥルーズは、知の体系は系統立てて整理されたツリー状ではなく、脈絡なく根を張るリゾーム状だと指摘しました。
じつは私もこの考えに踊らされたクチ。「難しい古典を勉強しなくても、やりたいところだけつまみ食いすればいい」と考え、ずいぶんと気分が楽になった覚えがあります。
当時は「カントは知らないけど、現代思想が好き」「ドストエフスキーは読んでいないが、アルゼンチンの作家は読む」といった軽佻浮薄な態度が許されていました。その是非は置いておくとしても、多くの若者が既存の価値観からうまく逃げていたことは事実です。
それと比べて、いまのノマドワーカーたちはどうでしょう。彼らはビジネスで成功することに熱心で、ツイッターのフォロワー数を競ったりしています。それはたんに従来とは成功のモデルが異なるだけで、既存の価値観から逃げられていないようにみえます。
会社から抜け出せずに苦しむ人がいる一方、会社を飛び出して自由に振る舞っているようにみえても、既存の価値観に縛られて自分をすり減らしていく人がいる。どちらにしても、いまの日本人は自分たちを縛るものからうまく逃げられていないようです。
どうして私たちは、うまく逃げられなくなってしまったのか。それはいまの社会の「ささいなミスも許してはいけない」という風潮と深い関係があります。
先日、芸能人の親が生活保護を受給していたことが発覚し、世間をにぎわせました。ここで生活保護制度を問題にするつもりはありません。注目したいのは、この問題に対する周りの反応です。
昔なら「あれだけ稼いでいるのなら、面倒みてあげればいいのにね」と世間話で済んでいたものが、国会議員まで出てきて国を二分する議論になった。制度そのものの是非を問うような話にまで発展しています。
大阪市職員の入れ墨問題もそうで、いきなりクビかどうかという話になっています。正義とか道徳が絡むと、途端にみんな小さな話まで白黒をつけようとしてしまう。
子供のころ友達とケンカして、「○○くんにぶたれた」「証拠は? 何時何分何秒?」と言い争った記憶がある人もいるでしょうが、それと同じことをいま大人たちがやっているわけです。
小さなミスも容赦しない風潮は、私の職場である病院や大学でもみられます。かつての病院は、医療者が威張りすぎていることが問題でした。しかし、いつのまにか力関係が逆転して、患者さんの要求がシビアになっています。
たとえば予約時間。診察は人間相手ですから、必ずしも予定どおりに終わるとはかぎらず、ときに後ろにズレることがあります。しっかり診察した結果なので患者さんの利益にもなっているはずですが、待たされた患者さんはそう受け止めてくれません。病院の目安箱に投書されて、クレームになったケースもたびたびあります。
大学も世知辛いですよ。教員を評価する授業評価のアンケートで、学生が「先生の滑舌が悪い」とか、果ては「服のセンスがダサい」とまで書いてくる場合があります。
病院や大学がこうなのですから、一般のサービス業はなおさらでしょう。消費者は少しのミスも見逃すまいと目を光らせて、会社も社員のミスに対して容赦しなくなっていく。
それによって品質が高まる面があるとは思いますが、働く人のモチベーションを下げたり委縮させてしまい、サービス低下につながっている恐れもあります。これでは誰も幸せになりません。
このように小さなことも曖昧にせず白黒つける社会になると、日常のなかの逃げ場がなくなります。いままで「これくらいでいいか」と適当にやっていたところにも誰かの監視の目がいき届き、24時間365日、緊張状態が続くのです。
更新:11月27日 00:05