2022年10月14日 公開
2023年01月18日 更新
イラスト:松尾達
人生100年時代を生きるビジネスパーソンは、ロールモデルのない働き方や生き方を求められ、様々な悩みや不安を抱えている。
本記事では、激動の時代を生き抜くヒントとして、松下幸之助の言葉から、その思考に迫る。グローバル企業パナソニックを一代で築き上げた敏腕経営者の生き方、考え方とは?
【松下幸之助(まつした・こうのすけ)】
1894年生まれ。9歳で商売の世界に入り、苦労を重ね、パナソニック(旧松下電器産業)グループを創業する。1946年、PHP研究所を創設。89年、94歳で没。
※本稿は、『THE21』2022年6月号に掲載された「松下幸之助の順境よし、逆境さらによし~無用の人は一人もいない」を一部編集したものです。
最近、とある大企業の社長・役員人事に関する報道を目にして、驚いたことがある。昔は愛想もなく、リーダーの器のかけらも感じられなかった(失礼!)クラスメートが、専務取締役に昇格したというのだ。その前から執行役員や関連会社社長を務めていたと記されているので、出世頭なのだろうか。
これは何かの間違えではないかと思い、その企業のホームページを確認したところ、役員一覧の顔写真の1つにあったのは、紛れもない彼の"さわやかな笑顔"だった。
もっとも、社会人になれば人間的にも学ぶことが広がり、学生時代とはまるで異なる立派な人物に成長するケースは珍しくない。ただ、彼の場合は、かつてのイメージとは極端に異なっていたので驚いた次第である。
きっと、彼自身の努力や人間的成長に加えて、入社したその企業で同僚や上司、顧客などにも恵まれて、それまで潜在的に持っていた実力を大いに発揮できたのだろう。
自分の持ち味を発揮してそれを認めてもらえるかどうかは、けっこう周囲の人間関係などに依存するものだ。逆に見方を変えれば、周囲の人、特に上司に相当する人は、組織力を高めるためにも、部下が個々の力を発揮できるように心がける必要がある。この点に関して、1950年代後半の松下幸之助のエピソードを紹介したい。
当時は松下電器(現パナソニックグループ)の急成長に伴い、事業場の数が増えていった。新たな事業場が設置されると、他部署から人をもらう。社員を大量採用していた時代なので、それができたのだろう。
しかし、人を出す他部署としては、優秀な人材を手放したくない。そこで受け入れ側の、ある新事業場の幹部が、社長の幸之助に不満を訴えた。「いい人材が来てくれなくて困っている。悪い人が多く、弱っているのです」。
それを耳にした幸之助の表情がサッと変わった。
「松下電器の社員に悪い人はおらんはずや! もともとそんな悪い人を採用しているつもりはない! 君は悪い人ばっかりもらって困ると言うが、悪い人は1人もおらんはずや!」
幸之助の叱責は止まらない。
「悪い人がいると思うこと自体、すでにだめだ。もしもそういう人がいれば、その人を引き立てて、その能力を最大限に発揮できるようにするにはどうしたらいいか、考えなければいかん。新しい事業場だから来る人が悪いと決めつけてしまうことでは、君、いかんやないか!」
考えてみれば、創業期の松下電器など、優秀な人を選んで採用できるような会社ではまったくなかった。それでも幸之助は、自分の会社に"入っていただいた"部下たちの長所を見つけ、それを伸ばしていくことに力を入れたのである。
新事業場の幹部はそもそも採用で苦労せず、人材を他部署から回してくれているのに、何をか言わんやと、幸之助は思ったことだろう。
初めから部下や後輩のことを能力がないと決めつけるのではなく、何かきっと生かせる能力があるはずだと考えるのが、上司や先輩の役目というものである。取り柄がなさそうな人だって、何か使い道があるはずだ。
幸之助は著書の中で、役立たずと思われていた2人の"泣き面の男"の話を紹介している。
1人は、『事業は人なり――私の人の見方・育て方』(PHP研究所)によると、鎌倉末期から室町初期にかけての武将である楠木正成の家臣。「泣き男」と呼ばれ、ウソ泣きがうまい。けれども特に取り柄がなく、周囲の評判は芳しくなかった。
しかし正成は、ある戦の折、自分が討ち死にしたと見せかけて敵を安心させ、そのスキに攻撃を仕掛けるという戦略を思いつき、「泣き男」を抜擢。正成の"死"に悲痛の涙を流す迫真の演技に敵は見事だまされ、作戦は大成功したそうだ。
もう1人は、『指導者の条件』(同前)によると、戦国時代の武将である堀秀政の家臣。悲しくもないのにいつも目を潤ませ、眉をひそめているのが不気味で、周囲から避けられていた。
他の家臣らは秀政に、「この男は不愉快なうえに世間の評判も悪いから、暇を与えてはどうか」と進言する。すると、秀政はこう答えたという。
「お前たちの言うことはまことにもっともだ。しかし、法事とか弔問の使いにやるのに、あれほど適任な者はいない。どんな人でもそれぞれに使い道があるのであって、だから大名の家にはいろいろな人間を召しかかえておくことが大事なのだ」
これら2人の"泣き面の男"は共に、周囲からうっとうしい存在と見られていた。ところが、名将の楠木正成と堀秀政だけは、いつか役に立つと見ていたのである。幸之助は後者の秀政のエピソードを紹介した後、次のように述べている。
「今日の社会は戦国時代とは比較にならないほど複雑多岐にわたっている。それだけ多種多様な人が求められているといえよう。したがって、今日の指導者は秀政以上に、いろいろな人を求めることに意を用いなくてはならない。無用の人は1人もいない。そういう考えに立ってすべての人を生かしていくことがきわめて大事だと思う」
「無用な人は1人もいない」のだという考えに前提として立つことが重要なのだと、幸之助は説いている。とはいえ、頭ではそうわかっていても、つい人の短所に目がいってしまうという人もいるだろう。
現実に、会社の中には様々なタイプの人物がいて、直してほしいことを改めない社員はいるものだ。
けれども、人の短所ばかりが気になって人材の活用に消極的になるのでは本末転倒であり、組織全体にとっては弊害にもなりかねない。逆に「無用の人はいない」のだという信念で日々人と接することにより、周囲からの信頼も高まり、結果的に、個人的にも組織的にも、プラスになる可能性は高いのである。
更新:11月21日 00:05