信長が、土地や金に代えて、茶道具を恩賞として与えたという話をご存じの方もいるでしょう。
しかし、恩賞の代わりに与えられて、「ありがたい」と感謝されるには、受け取る相手も茶道具の価値を了解している必要があります。
そこで信長は、茶道具に触れる機会もなかった家臣たちにも茶道具を価値あるものだと感じさせる教育を行いました。
天正3年(1575)11月28日に、信長は嫡男信忠に家督を譲ります。信長は、居城の岐阜城と、刀を筆頭に収集の諸道具、それに尾張・美濃の国を与えながらも、茶道具だけは信忠に与えませんでした。
2年後の天正5年(1577)12月28日になって、ようやく茶道具を与えます。信忠が、謀反を起こした松永久秀攻めの総大将として討伐に成功したからです。
信長は、「嫡男といえども、しかるべき手柄をあげなければ与えられないもの」と茶道具を価値づけたのです。織田家中においては、興味のなかった家臣にとっても、茶道具はもらって有難いものにならざるを得ません。
また、茶会は、信長からもらった道具を披露して、自身の功績を自慢する場にもなってくるわけです。
「自分にとって大切なものならば、相手も大切に思ってくれている」とは限りません。価値とは、受け取る相手が価値あるものと思ってくれることで成立します。もとをたたせばただの紙切れのお金が流通するのも、相手がそこに表示された価値があるものとして受け取ってくれると双方が信じていればこそのことです。
双方が同じ価値観を共有していること。この構造を普段はまったく意識せずに過ごしてしまいますが、新商品などを普及させる時には注意が必要です。社内では、その価値がどんなに共有されていても、現段階で、それが消費者にどこまで共有されているか。冷静に判断して、足りないところを補う工夫が必要です。
更新:11月23日 00:05