2020年12月28日 公開
2022年10月25日 更新
島津製作所 創業記念資料館(京都市中京区)
東京一極集中が長く続き、大企業もほとんどが東京に本社を置いている中、京都には村田製作所やオムロン、堀場製作所、京セラ、任天堂、ローム、ワコール、日本電産など、世界で活躍する名だたる「ものづくり」企業がある。いったい、なぜなのか? 京都に本社を置く世界的「ものづくり」企業の1つ、島津製作所の歴史をたどる『仏具とノーベル賞 京都・島津製作所創業伝』(朝日新聞出版)を上梓した鵜飼秀徳氏に聞いた。
794年(延暦13年)から1869年(明治2年)まで、1075年もの長きにわたって日本の首都だった京都には、利他の精神が受け継がれていると、鵜飼氏は話す。
「京都は、天皇や時の権力者の庇護を受けて数多くの寺院が建てられた宗教都市です。そのため、仏教の利他の精神が、高度成長期でも、バブル期でも、グローバル化が進む中でも、失われることなく大切に守られてきました。
京都の企業にも、その価値観が浸透しているところが多くあります。一時の儲けを狙って持続性のないビジネスをしたりすることなく、長期的な視野で、世の中のためになるビジネスを着実に行なっている企業が多いことが、京都に世界的な『ものづくり』企業が多い背景にあるのではないでしょうか」(鵜飼氏)
そして、京都人の目が厳しいことも指摘する。
「京都は町衆の力が強い街です。利他の精神を大切にしている町衆から信頼されない企業は、人材を採用するのも難しく、京都で生き残ることはできないでしょう」(鵜飼氏)
京都が日本の首都として、また、宗教都市として発展したことは、「ものづくり」を育むことにもなったと、鵜飼氏は話す。
「宮中に献上するものを作ったり、仏具など、寺院に納めるものを作ったりする製造業が成長したのです。例えば、1875年(明治8年)に島津製作所を創業した初代島津源蔵も、もとは鋳物の仏具を作っていました。
京都には老舗の和菓子店も多くありますが、これも『お寺関連産業』です。仏様へのお供えやお参りに来た人へのお茶請けに使ったり、参詣客向けに門前で売られたりしていました。1602年(慶長7年)創業の法蔵館のような、仏教関係の出版社や印刷業者も多くあります」(鵜飼氏)
さらに、明治以降、京都は首都ではなくなったが、日本の中でも速いスピードで近代化が進んだ。
「1864年(元治元年)の禁門の変の際の大火や1868年(慶応4年)の鳥羽・伏見の戦いで、明治維新を迎えたばかりの京都は荒廃していました。しかし、早くも1870年(明治3年)には科学技術の研究や技術開発を目的とした京都舎密(せいみ)局が、翌年には殖産興業を推進する本部である勧業場(かんぎょうば)が設立されます。
1890年(明治23年)には琵琶湖疎水の第1疎水が完成しました。当初は灌漑や飲料水の確保が目的でしたが、日本初、世界でも2番目の水力発電所である蹴上(けあげ)発電所が作られて、京都の近代化に大きく貢献しました。蹴上発電所は、関西電力の管理のもと、今でも稼働しています。
1895年(明治28年)に京都で開催された第4回内国勧業博覧会では、蹴上発電所から供給される電力によって、日本初の路面電車が走りました」(鵜飼氏)
第2次世界大戦で空襲の被害が少なかったことや、災害が少ないことなども、京都から世界で活躍する「ものづくり」企業が続々と生まれている要因のようだ。
更新:12月04日 00:05