THE21 » キャリア » ベルフェイス「オンライン商談システムを『電話の進化版』として洗練させる」

ベルフェイス「オンライン商談システムを『電話の進化版』として洗練させる」

2020年05月07日 公開
2020年05月19日 更新

【経営トップに聞く 第31回】中島一明(ベルフェイス代表取締役)

 

最初に起業した企業での営業活動が2社目の事業のヒントに

 


bellFaceの接続画面

 

 ――bellFaceのアイデアはどこから生まれたのでしょうか?

中島 私は21歳のときに福岡で初めての起業をして、「社長.tv」というサイトを立ち上げました。色々な企業の社長たちから料金をいただいて、そのインタビュー動画をネットで配信するビジネスです。

 まずは福岡から始めて、あるときから全国展開することにしたのですが、各地で代理店契約をして営業活動をしてもらったところ、なかなか成果が上がらない。そこで、福岡にコールセンターを作って、自分たちで全国に電話だけで営業をすることにしました。

 行ったこともない場所の社長に電話だけで営業をするのはとても大変でしたが、結果として、福岡で2年かけて約300社だった掲載社を、次の2年で全国約6,000社にまで増やすことができました。先方からの問い合わせはほとんどなく、アウトバウンドだけです。売上げも約7,000万円から十数億円に増えました。

 訪問せずにリモートで営業をすると、短期間でこれほど事業規模を大きくできるのだということを経験したことで、リモートでの営業はこれから広がるだろうと思いましたし、同時に、電話しか使えないコミュニケーションにストレスも感じました。電話だと相手の顔が見えませんし、資料もあとからFAXやメールで送ることになってしまいます。そこでコミュニケーションが止まってしまうこともあります。

 SkypeやGoogleハングアウトも試してみましたが、アプリのインストールなど、環境を整えていただくことを営業先の企業に頼むわけにいかないので、実際の営業のシーンでは使えませんでした。

 そこで、「社長.tv」の運営会社を29歳で離れたあと、次に起業した当社でbellFaceを開発したのです。

 ――bellFaceの開発に当たっては、エンジニアを集めることも必要だったと思います。どのように集めたのでしょう?

中島 前の会社の創業メンバーでもあるのですが、当社の創業メンバーの1人がとても優秀なエンジニアで、私が「こういうものを作ってほしい」と言って必要な予算を渡せば、作ってくれるんです。今は私も開発チームに深く関わっていますが、初期は、開発はその者に任せて、私は営業とプロダクトだけに集中できました。それがとても良かったですね。

 今でもその方は、外部パートナーとして、bellFaceの開発に携わってくれています。

 ――21歳のときに「社長.tv」で最初の起業をしたということですが、起業家になりたいという気持ちはいつから?

中島 どういうわけか、小さい頃から独立心が強かったですね。親はサラリーマンと専業主婦で、親戚や知り合いにも経営者はいなかったのですが、中学生の頃から起業家になりたいと思うようになり、ビジネス書や哲学書をよく読んでいました。

 高校は進学校に入学したものの、高校は義務教育ではないし、起業家になると決めているのだから早く社会人になって経験を積んだほうがいいという意志決定をして、3カ月で辞めました。素行が悪かったわけではないですよ(笑)。なぜ辞めるのかを作文にして、親にも先生にも提出して、中退しました。

 そして、15歳で地元の測量会社に入社し、2年半ほど勤めました。常に人手不足の業界で、15歳でも正社員になれたからです。高校で「サイン、コサイン」なんて勉強しても仕方がないと思っていたら、測量でしっかり三角関数を使いました(笑)。

 その後、19歳のときに、7~8カ月かけて30カ国を回る世界一周の旅をしました。その間、1日1枚ビジネスプランを書いたんです。一部、盗まれてしまいましたが、200枚程になりました。ところが、帰国してから起業して、書き溜めたビジネスプランをいくつも試したのですが、どれもうまくいかなかった。そこで、うまくいっている社長は何をやっているのか聞きに行くことにしました。

 話を聞いているうちに、これは自分だけが聞いていてはもったいないと思い、動画に撮ってネットで配信したのが、「社長.tv」の始まりです。100社ほどの社長の動画を配信したところで、有料でいいから掲載してほしいという社長が現れるようになって、ビジネスになりました。

 ――「社長.tv」の事業から学んで、今に活きていることはありますか?

中島 1,000人以上の社長にヒアリングやインタビューをして、社会はこういう人たちが作っているんだなと実感しました。ここに何気なくあるカーテンにしても、それを作っている人がいるわけです。ITの事業は、社会を作り上げている人たちがいるおかげで、その上に成り立つことができるもの。bellFaceはITの事業ですが、そういう意識を持って取り組んでいます。

 ――「社長.tv」を辞めて、ベルフェイスを起業した経緯は?

中島 社員数が1年で10人から100数十人に増えるような急成長をしたことで、投資が先行し、キャッシュが足りなくなりました。幸い、出資を受けることができ、コストや人員の削減もして、倒産は免れたのですが、私は株をほとんど手放してしまうことになりました。すると、自分の思うように会社の意思決定ができなくなり、周囲と対立するようになって、結局、株主に解任されてしまったんです。

 そして、解任されたのと同じ月に、資本金90万円で当社を設立しました。当初は個人で500万円ほどの借金をして、それを資金にプロダクトを作って、予約受注で先に料金をいただきながら、会社を回していましたね。

 ――その経験を今から振り返って、どう思いますか?

中島 自分が本当に価値を感じることをしていなかったし、戦略もできていなかったのだと思います。だから、顧客に価値を提供できていなかった。

 今は、顧客に提供する価値を中心に据えたうえで、自分たちがしたいことをしています。

 ――非常にユニークなご経歴だと思いますが、その経験を経て、経営にとって最も大切なものはなんだと思いますか?

中島 イーロン・マスクが、経営はケーキを焼くようなものだと言っています。どこか1つでも間違えると全部ダメになるということで、まさにその通りだと思います。ですから、何も最も大切かという質問に対する答えは、「すべて」ですね。

 起業家にとって最も大切なものは何かという質問でしたら、ビジョンとパッションでしょう。これがなければ何もスタートしません。それを踏まえると、経営者に必要なのは、ビジョンと戦略だと言えるかもしれません。ビジョンはすぐに伝わらなくなり、形骸化します。経営者は、綺麗ごとでも、ビジョンを語り続けなければなりません。そして、それを実現する戦略が描けなければならない。理想論と戦略がなければ、言葉に説得力が出ません。

 ――最後に、今後の展開について考えていることを教えてください。

中島 新型コロナウイルスの流行を受けてテレワークを導入する企業が急増したことで、今後、これまでの数十倍の規模でテレワークが浸透すると思います。テレワークに関連する事業領域は様々ありますが、その中で、営業という領域においては圧倒的な存在になりたいと思っています。

 また、これまではBtoBの営業に特化してプロダクトを洗練させてきましたが、BtoBの数十倍の市場規模があるBtoCの営業にも進出し、きちんとマーケットを押さえることが、喫緊で我々が狙っているところです。

 BtoCの営業では、スマホで使いやすいことが重要です。今でもスマホでも使えますし、採用や不動産賃貸業などで、bellFaceをBtoCに使っていただいている企業もありますが、よりハードルを下げて、どんな方にも使いやすいプロダクトにしていきます。

 ――他社が参入してくる可能性は?

中島 当然、あり得ると思います。ただ、当社には、電話の進化版という一点突破で築き上げてきたテクノロジーやノウハウ、そして優秀なメンバーがいますから、そこは大きな強みだと思っています。

 ――海外進出も考えている?

中島 中長期的には、もちろん考えています。私の知る限りでは、bellFaceのようなサービスは海外にはありません。日本のマーケットでしっかりと価値を提供しつつ、世界でもNo.1となることを目指して、リサーチを進めているところです。

著者紹介

中島一明(なかじま・かずあき)

ベルフェイス〔株〕代表取締役

1985年、兵庫県生まれ。福岡県育ち。起業を志し、高校を1年の1学期で退学して、15歳で測量会社に就職。19歳で世界一周をしながら200枚のビジネスプランを作成。21歳で〔株〕ディーノシステムを起業し、「社長.tv」という中小企業経営者を動画で紹介する広告メディアを展開。2015年に同社を退任し、ベルフェイス〔株〕を設立。

THE21 購入

2024年12月

THE21 2024年12月

発売日:2024年11月06日
価格(税込):780円

関連記事

編集部のおすすめ

ボーダレス・ジャパン「10億円のソーシャルビジネスを年間100社生み出し続け、1兆円企業を目指す」

【経営トップに聞く】田口一成(ボーダレス・ジャパン社長)

グラウンドワークス「エヴァンゲリオンの版権ビジネスが成功し続けている理由」

【経営トップに聞く】神村靖宏(グラウンドワークス代表取締役)

ボルボ・カー・ジャパン「5年で販売台数4割増を実現した『プレミアム戦略』」

【経営トップに聞く】木村隆之(ボルボ・カー・ジャパン前社長)

<連載>経営トップに聞く