2019年11月25日 公開
佐山氏は、自分の考えを直接社員に伝えられる「さやま便り」という手段を確保したうえで、会長就任以来、ある一つのメッセージをずっと発信し続けてきた。それは「第一に安全、第二に定時運航率日本一」というメッセージだった。
「極端な話、これ以外には何も言っていません。『売上げや利益を伸ばそう』なんてことは、ひと言も言わなかった。そんなことを言われたって、皆、具体的に何をすればいいかがわかりませんからね。
投資した当時、お客様の間では、『スカイマークは遅延が多い』というイメージが定着していました。だからこそ、負のイメージを払拭するために、『日本一』を掲げる必要があると思ったのです。
とはいえ、多くの社員は、最初のうちは私のメッセージを本気には受け取っていなかったかもしれません。でも、しつこく言い続けるうちに、社員の意識が少しずつ変わっていきました。
定時運航率は、どこか一つの部署が頑張れば向上するわけでなく、パイロット、客室乗務員、整備、カウンター、グランドハンドリングなど、すべての部署の努力が不可欠です。航空会社の総合力が問われるわけです。スカイマークの社員も、自分たちがそれぞれの持ち場で何をすればいいかを考え、工夫を重ねるようになりました。そして、本当に2年連続定時運航率日本一を達成したのです。
大まかに言うと、定時運航率が1%向上すれば、搭乗率は1.9%上昇しています。これは、考えてみたら当たり前の話です。誰だって遅延が多い航空会社の飛行機には乗りたくないですからね。搭乗率が上がれば、自然と業績も伸びていきます。
どんな業界にも、航空会社の定時運航率のように、状況を変えるためのカギとなるファクターがあるはずです。そのファクターを見つけ出し、しつこいぐらいにスタッフに言い続けることが大事だと思います」
こうして、一時は誰もが見放そうとしていたスカイマークを復活させた佐山氏。では、佐山氏自身は、これまでどんな人生を歩んできたのだろうか。
「『面白いこと』ではなく『面白そうなこと』をいつも選んで生きてきました。誰もが『面白い』とわかっていることは、実はもうすでに面白くないんです。また、参入する人も多いので、競争も激しくなる。
でも、まだ『面白そうなこと』の段階では先が見えないので、うまくいくかどうかわかりません。それに、誰もやっていないことを成し遂げられたときには、得がたい達成感を味わえます。今回、スカイマークの救済に名乗りを上げたのも、『できるかわからないが、できれば素晴らしい』と思ったことがベースにあります。
私は、33歳までは、帝人で技術者をしていました。そこから三井銀行(現・三井住友銀行)のM&Aを手がけている部門に転職します。当時はM&Aなんて誰も知らないし、M&Aについて解説した本もなかった時代です。ですが、面白そうだと思って挑戦することにしたのです。
その後、銀行を辞めて投資ファンドを立ち上げますが、投資ファンドもその頃の日本には存在していませんでした。だから、面白そうだと思って取り組むことにしました。
銀行に転職したときも、投資ファンドを始めたときも、成功するだろうなんて考えていません。もしタイムマシンで当時に戻って、そのときの自分に『成功の可能性は?』と訊ねたら、『5%ぐらい』と答えるでしょうね。95%はダメだろうと思いながらも、面白そうだから選んだのです。
5%の可能性でもチャレンジできたのは、失敗したときの退路を準備していたからです。銀行に転職したときには、直前まで司法試験の勉強をしていて、受かるつもりでいました。だから『転職に失敗したら、司法試験に進めばいい』と思っていました。また投資ファンドを始めたときには、『失敗したら、またM&Aのアドバイザーに戻ればいい』と考えていました。退路を用意しておくことで、人は思いきった挑戦をすることが可能になります。
あとは、『もう自分も40歳だから』というように、年齢を何かをやらない理由にしないこと。人はいくつになっても、10年後の自分よりは10歳若いわけですから、40代で歳を取ったなんて考えていると、きっと10年後に『40代のときの自分なら、あれもこれもできたのに』と後悔します。『歳を取ったな』と思うのは、死ぬ直前だけでいいんです。今からでも『面白そう』な人生を歩むことは十分に可能です」
《取材・構成:長谷川 敦 写真撮影:まるやゆういち》
《『THE21』2019年11月号より》
更新:11月25日 00:05