2017年11月01日 公開
2023年07月12日 更新
練習を始めた頃はうまくなりたい一心だったが、最近では「どうすれば津軽三味線の魅力をお客様に伝えられるか」を考えるようになったという。現在は、界 津軽の三味線プロジェクトチームの一員として、ご当地楽をいかに魅力的に進化させていくのか模索する日々が続く。
清水さんは、伝統的な演奏スタイルにとらわれず、界 津軽オリジナルの表現方法を生み出せたらと考えている。
「まだアイデアの段階ですが、たとえば照明の使い方を工夫したり、プロジェクションマッピングと組み合わせたりするのも面白いかもしれません。衣装も袴ではなくダンサーのような衣装を着たり、奏者の配置もお客さまの前に一列に並ぶよりも、お客さまをぐるりと囲むように演奏すれば、四方から音が聞こえて迫力が増すんじゃないかと考えています」
役者の頃、実現に至らずあきらめた舞台のアイデアがいくつもあった。それらを今、津軽三味線という新たなステージで実現できるかもしれない。そう考えるとワクワクする。
「『劇団☆新感線』という劇団があるでしょう。あんな感じのテイストが出せたらと思うんです」と清水さんは悪戯っぽく笑う。
星野リゾートには、従来のやり方や考え方にとらわれず、スタッフ個人が自由に新しいことに挑戦できる風土がある。清水さんにとっては、役者だった自分の経験を思う存分生かせる舞台でもある。「ちょっとした思いつきや、こうしたらいいんじゃないか、という個人レベルの提案も形にできるのは楽しいですね」
津軽三味線に深く関わるようになるにつれ、伝統芸能ならではの厳しい現実も目の当たりにするようになった。芸能の存続と後継者の問題である。
津軽三味線の発祥の地、五所川原市金木で毎年行われてきた「津軽三味線全日本シニア大会」も、2014年の第10回大会を最後に、伝統の幕を下ろそうとしていた。大会主催者が高齢となり、大会運営を続けていくことができなくなったのだ。
この地域に拠点を置く旅館として、津軽三味線を盛り上げて地域活性化につなげたい。清水さんをはじめ界 津軽のスタッフは、自分たちがこの伝統大会を引き継ぐことを決意。翌年には、第11回を界 津軽のロビーで開催した。
第12回大会は、会場を界 津軽から大鰐町の地域交流センターに移し、地元の人たちと二人三脚で作り上げた。「地元の人たちの想いをくみ取りながら、形にすることができたのは素晴らしい経験」と清水さんは話す。
今後に向けて「星野リゾートや界 津軽が、後継者育成を支援し、津軽三味線を発信していく場にしていけたら」と清水さんの思いは尽きない。
もしかすると清水さんは、津軽三味線の若手奏者に、かつて役者を目指していた頃の自分を重ねているのかもしれない。だが、こうも言えるだろう。ユニークなバックグラウンドを持つ清水さんのようなスタッフだからこそ、実現できることもあるに違いない。
更新:11月22日 00:05