2017年05月10日 公開
2021年07月28日 更新
ミスが許されない仕事というとまず思い浮かぶのが、人命にかかわる職種だ。パイロットはその代表例で、乗客の命を預かる立場である。致命的な状況を防ぐために高度にシステム化された、機長の仕事術についてうかがった。《取材・構成=塚田有香、写真撮影=まるやゆういち》
※本稿は『THE21』2017年6月号より一部抜粋・編集したものです
――日本航空の靍谷忠久氏は運航乗務員として27年のキャリアを持ち、2000年以降は機長の重責を担ってきたベテランパイロットだ。乗客の命を預かる乗務員たちは、どのようにミスを予防しているのだろうか。
「まずお伝えしておきたいのですが、私たちはミスではなく、『エラー』という言葉を使います。多くの人は、『望ましくない状況や行動』を表わすのに何となくミスという言葉を使うようですが、日本航空ではエラーを明確に定義し、一般的に使われるミスとは区別しています。
日本航空におけるエラーの定義は、『組織や社会の客観的期待値を満たさない乗務員の行動、あるいは無行動』。喩えるなら、五メートルの棒高跳びができる人が、四メートルを跳び損ねるのがエラー。六メートルを跳び損ねるのは、エラーには入りません。大事なのは、お客さまや会社が『この人なら五メートルを跳ぶはずだ』と期待する水準を下回らないこと。日本航空では、この定義を全ての乗務員が共有しています。
このように、私たちのエラーに対する基本的な考え方は、常に客観性と合理性に基づいています。精神論や根性論で『頑張ればエラーを減らせる』と考えるのではなく、何をどのレベルで実行すればよいか明確な基準を示し、それを達成するための仕組みも確立されています」
――では、言葉の定義を踏まえたうえで、パイロットはエラーをしないために何をしているのか。その答えは、意外にもシンプルなものだった。
「パイロットが個人でできるのは、『学習・訓練・確認』の三つを日々継続して行なうこと。航空機の運航手順はマニュアルにより標準化されているので、まずはそれを学習する。学習したことは、フライトシミュレーターなどを使って訓練する。さらに、年2回の技能審査や年1回の路線審査、そして年4回のシミュレーター訓練で、パイロットの能力を定期的に確認する。もっと短いサイクルで言えば、一回のフライトが終わるたびに、機長と副操縦士がその日の運航を振り返るのも大事な『確認』です。
しかし、『学習・訓練・確認』が必要なのはパイロットにかぎった話ではありません。その意味で、エラーをしないために個人がやっていることは、他の業界と変わらないと言えます」
――そのうえで靍谷氏は、「航空業界のエラーに対する取り組みで特筆すべき点は、もっと別のところにある」と話す。
「それは、現在の航空業界が『人間はエラーをするものだ』という前提に立った上で、『エラーをいかに管理・コントロールするか』を考えている点です。
かつては航空業界も、エラーをゼロにできると考えていました。確かに、航空技術の発達や乗務員の訓練強化などにより、以前に比べれば事故率は大幅に下がりました。しかし、どれだけ努力をしても、事故率はゼロにならない。さらには様々な研究により、人間は脳の構造上、エラーを完全には回避できないことも明らかになりました。そこで1990年代に入ると、航空業界はエラーに対する考え方を根本的に改めたのです。
誤解して欲しくないのですが、私たちは決してエラーをしてもいいと思っているわけではありませんし、個々の乗務員はエラーをしないために最大限の努力をしています。しかし、それでもエラーは発生する。その時にどう対処し、影響を最小限に食い止めるかを日頃から考えることで、エラーの管理やコントロールが可能となるのです」
――この「エラーの管理やコントロール」とは、具体的にどういうことなのか。日本航空では、乗務員たちがある理論に従って行動することにより、それを実現しているという。
「私たちは、『Threat & Error Management』 というロジックに従って行動します。これは米テキサス大学が開発した理論で、『Threat=エラーが発生する可能性を高める要因』をいち早く認識し、適切な対処をすることで、より重大な事象の発生を防ごうとする考え方です。
Threatとは、悪天候や見通しの悪い夜間運航、空港の混雑や急病人の発生などが挙げられます。そしてこの理論においては、Threatを放置すると“Error”が発生し、Errorの処理に失敗すると“Undesired Aircraft State(望ましくない飛行機の状況)”に至り、さらに対応を誤ると“Incident(事故につながる可能性がある事象)”に陥りかねないとされます。
よってパイロットは、フライト前やフライト中の要所で必ずチームによる打ち合わせをして、『どのようなThreatがあり得るか』を共有します。さらに、Threatに気づいたときはどのように行動するか、もしThreatを見逃してErrorが発生したらどう対処するかも決めておきます。あらかじめやるべきことが決まっていれば、実際にイレギュラーが発生しても適切に対処できるので、それより悪い状況には陥りません」
――この「チームで対処する」という点も、エラーを管理するためには非常に重要だ。
「客観的かつ合理的に判断するには、誰か一人の主観に頼るのは危険です。たとえ経験豊富な機長でも、人間はエラーをするという前提に立てば、Threatを見逃す可能性がある。副操縦士が『何かおかしいな』と気づいても、『ベテランの機長が何も言わないのだから、きっと大丈夫だろう』と思って何も言わなければ、エラーにつながる可能性があるのです。
ですから、私が機長を務める時は、副操縦士や客室乗務員に『君たちが少しでも違和感を覚えることがあったら、必ず声に出して言ってください』と伝えています。Threatを発見し、共有しやすい環境を作ることも、機長の重要な任務です」「直感」ではなく「直観」を使おう
――ThreatやErrorなどの問題が発生した場合の対処についても、理論が確立されている。
「問題への対応は、『Structured Decision Making』という意思決定のフレームワークに従って行ないます。フライト中にThreatやErrorを認識し、『今、何が問題なのか』を設定したら、次に考えるべきは『使用できる手順が設定されているか』です。ほとんどの場合、マニュアルで手順が用意されています。よって、用意された手順に従えば、問題は解決します。
しかし時には、手順が用意されていないケースもあります。その場合に考えるべきは『判断に必要な時間はあるか』です。その答えがイエスなら、解決案の選択肢を挙げ、それぞれのリスクを評価し、解決案を選択して決定するというプロセスで、分析的な意思決定を行ないます。
一方、時間がない場合は、直観的な意思決定を行ないます。ここで注意したいのは『直感』ではなく『直観』だということ。直観とは、経験に基づいた判断により、これが最も合理的だと思われるベターチョイスができるよう最善を尽くすこと。一方の直感は、カンを働かせて物事を感覚的にとらえることで、意味がまったく異なります」
更新:11月22日 00:05