2013年02月07日 公開
2023年05月16日 更新
《 『THE21』2013年2月号 連載「竹中平蔵のニッポン再起動」より》
このところ、世界を席巻するような日本発のヒット商品をあまり目にしない。ものづくり分野ではiPhone、成長産業であるITサービスではFacebookに代表されるように、海外製の製品やサービスが人気を博している。日本経済が元気を取り戻すためには、世界をあっといわせる革新が欠かせないが、時代を塗り替える製品やサービスを生み出すには何が必要なのか。
「イノベーションの条件」を、竹中平蔵先生に解説してもらった。
イギリスのエコノミスト誌がまとめた『2050年の世界』(文藝春秋)という本に、興味深い指摘がありました。世界はこれから「シュンペーター的競争の時代」に突入するというのです。シュンペーターは、イノベーションを理論化した経済学者です。つまりエコノミスト誌は、今後はイノベーションを競う時代になると予想しているわけです。
イノベーションとは、いったいどんなものか。シュンペーターは、イノベーションとは「非連続の変化」だといいました。馬車をいくらつなげても自動車にはなりません。従来の延長線上ではなく、まったく別のところから起きる変化がイノベーションの特徴です。
ただし、イノベーションにつながる新しいアイデアは、天から降ってくるわけではありません。シュンペーターは、イノベーションは新結合、つまり新しい結びつきによって生まれるといいました。
わかりやすいのはiPodでしょう。iPodには日本製の部品がたくさん使われており、日本メーカーだってその気になればつくることが可能です。しかし現実には、日本企業はiPodをつくれませんでした。それはなぜか。メーカーは機械をつくることだけに集中して、新結合に目が向かなかったからです。
iPodがヒットするには、機械だけでなくコンテンツが必要です。
コンテンツを売るには、知的財産権をうまく活用できる法的な枠組みが必要になります。また、コンテンツを従来のCD店ではなくネットで販売するための仕組みも大切です。
ところが日本の場合、コンテンツに関係する人はコンテンツだけをつくり、インフラを整える人はNTT、機械をつくる人はソニーに一生勤めて、なかなか交わりません。そうした環境では新しい結びつきが生まれにくい。それぞれが自由に交われる環境があって初めて、イノベーションは生まれるのです。
シュンペーターが理論化したイノベーションを経営に落とし込んだのは、ピーター・ドラッカーです。新結合は、ベストセラーになった『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』という本にも登場します。
ヒロインの女子マネージャーは、野球部員の足腰を鍛えるために陸上部員と走り込みをさせます。陸上部のほうも、野球部に走り方を教えることで自分のフォームのチェックになり、お互いにウィン・ウィンの関係になります。また野球部は、家庭科部の料理を試食して栄養をつけ、アンケートに答えて改善提案をしたりもします。これらの試みは、まさしく新結合です。青春小説仕立ての本ですが、作者はイノベーションの本質をよくわかっていると思いました。
異質なものとの結びつきは、私たちの普段の仕事でも大切です。たとえば、いつも会社の同僚とばかり食事をしてお酒を飲んでいる人にイノベーションは起こせないでしょう。イノベーション競争に勝つには、個人も積極的に外に出るべきです。
最近は見知らぬ人同士が同じ場所を共用しながら働く「コワーキングスペース」がいろいろなところにできています。こうした場所には、同質なもの同士のつき合いに満足し切れない人たちが集まってきます。そういう場所を活用して、刺激を受けるのもいいと思います。
組織がイノベーションを起こすには、もう1つ重要な条件があります。それはフィナンシエー(金融家)の存在です。イノベーションは、リスクを取って前に進もうとする企業家が起こします。ただ、それにはお金がかかる。そこで、事業にファイナンスをする銀行家や投資家などのフィナンシエーが欠かせないのです。
15世紀に活躍した探検家コロンブスは、西廻りの航海路を切り拓こうとしたイノベーターでした。そのコロンブスにお金を出したのは誰か。スペインのイザベラ女王です。コロンブスはイタリア出身ですが、イザベラ女王は、利益が見込めると判断して資金援助をした。もしかすると、イザベラ女王は世界最初のベンチャーキャピタリストだったのかもしれません。
イノベーションは、企業家がアイデアを、金融家がお金を出すことでかたちになります。もちろん、お金をもっていれば誰でもいいというわけではない。リスクを負うのはフィナンシエーですから、ストラテジストであることが求められます。
かつては日本にも立派なフィナンシエーがいました。日本が高度成長した要因はいろいろありますが、日本の鉄鋼需要を支えた川崎製鉄千葉工場の一貫製鉄は見逃せません。ただ、この工場の設立については、通産省が「需給バランスが崩れる」、日銀が「外資の割り当てができない」といって大反対しました。当時の日銀総裁、一萬田尚登氏が、「建設予定地にぺんぺん草を生やしてやる」といって脅したのは有名な話です。
しかし、それでは日本は次のステップに進めません。そこで立ち上がったのが銀行たちでした。大手町のフィナンシエーたちは、川鉄にお金を出してプロジェクトをサポートしました。結果として日本の製鉄能力が上がり、それが日本の高度成長を支えることにつながりました。
ライシャワー東アジア研究所所長のケント・カルダーは著書『戦略的資本主義』のなかで、「当時の日本の資本主義の戦略本部は、霞が関ではなく大手町にあった」と指摘しましたが、私も同感です。以前は日本のフィナンシエーも、ストラテジストの役割を果たしていたのです。
残念ながら、いまの銀行にはリスクを取ってイノベーションをサポートする姿勢はみえません。銀行業は本来、リスク管理業です。しかし担保の不動産価格が上がり続けてきたため、銀行は実質的にリスクを背負うことがなく、リスク管理能力を衰えさせてしまった。いまや銀行は、消費者から預かったお金を企業に貸して届けるだけの宅配業です。そう揶揄したら、宅配便会社の方から「私たちならもっと正確に届けます」と苦言を呈されたことがありましたが。(笑)
フィナンシエーを海外に求めたらいい、という声もありますが、じつは金融情報というのはローカルなものです。お金を貸しても信頼に足る相手なのかどうかは、顔をみて話さないとわかりません。その点で、地方銀行が果たすべき役割は依然として重要なのです。全国のフィナンシエーには、自分たちがイノベーションを支えていくという意識を強くもってもらいたいですね。
更新:11月25日 00:05