
現代はまさに「共感」が善として流通する時代だ。だが本書は、まずその正統性の根に戻る。古典でいえば、アダム・スミス『道徳感情論』は「人は利己的に見えても、他者の境遇に心を動かす原理を持つ」と冒頭で据え、共感を社会秩序の基礎感情として位置づけた。
また霊長類学・進化行動学は、この直観を生物学的に補強してきた。フランス・ドゥ・ヴァールは共感を利他行動の近因メカニズムとして描き、山極壽一は人類史における"共食"と"共同保育"が高い共感能力を育てたと論じる。
つまり「共感は社会をつなぐ」という前提は、古典と科学の双方で厚い裏づけをもつ。永井陽右は、この土台を否定しない。むしろ同意した上で、そこで思考を止めないことを本書『共感という病』(かんき出版)の出発点にする。

永井は共感を2つに分ける。ひとつは相手の痛みや怒りに自分が巻き込まれる情動的共感、もうひとつは相手の状況や前提を理解し、距離を保って関わる認知的共感だ。本書が警戒するのは前者への過度な依存である。
情動的共感には「スポットライト性」がある。似た誰か、近い誰か、語りの強い誰かを強く照らし、数や距離や構造に鈍感になりやすい。心理学者のポール・ブルームが指摘したように、この偏りは政策や制度の判断を歪め、目の前の一人を救う物語が、見えない多数の誰かを犠牲にする決定を正当化しかねない。
永井はここに、SNS時代の同調圧力や炎上の力学が重なることを示す。共感は可燃性が高い。だからこそ理性の側を基礎に置き、情動の力を扱う設計が要る――これが本書の一貫した姿勢だ。
この姿勢がもっとも鮮明になるのは、著者の実務に根ざす章だ。永井の現場は、しばしば「最も共感が集まらない他者」、例えば紛争地で武装勢力に関与した若者たち、への関与である。可視化されやすい被害者の物語に比べ、彼らは共感の輪から外れやすい。それでも「関与しないという決定」もまた暴力の連鎖を温存する。
本書が提案する「戦略的対話」は、ここで意味を持つ。権利の尊重、手続きの合意、責任の範囲の明確化という外付けの倫理に足場を置き、感情の強度ではなく関与の持続可能性で判断する。具体的な重心は、糾弾や説得の巧拙ではなく、暴力の再生産を止める条件に置かれる。
面会の場では、当事者の安全と周囲の安全を先に確保し、生活や学習、就労といった接点から再接続の糸口を探す。評価も、感動的な物語の有無ではなく、離脱の継続、地域との摩擦の低下、再犯リスクの低減といった変化で測るという態度が貫かれる。
「誰の側に立つか」という情動的同調の問いより「何が再暴力化を止めるのか」という運用の問いに切り替える――この舵切りが、共感の偏りを補正し、届きにくい相手と最低限の接続を保つ現実的な方法だと本書は教える。ここには、加害者の権利と被害者の安全を同時に確保するという難題を、理念ではなく運用のレベルで解くという覚悟が通底している。
終盤の内田樹との対談は、本書の核を反射させる好対照だ。内田が内発的に湧き上がる「惻隠の心」を重んじるのに対し、永井は人権や法といった「外付けの倫理」を手がかりに、共感が及ばない相手とも協働する筋道を擁護する。
ここで著者は自身の来歴に触れる。生得的に共感に恵まれたからではなく、外付けの規範に学び直すことで公共性にコミットしてきた永井は、共感の不足を理性と制度で補い得るという信念を持つ。ここから、読者が受け取る希望は小さくない。生まれつきの善性や情熱に依存せずとも、共有可能な作法を用意すれば、私たちは「共感が届かない他者」と関係を結べるのだ。著者の存在自体が、その可否の実証として機能している。
本書の強みは、古典と科学に支えられた「共感」の力を踏まえたうえで、情動偏重の危険を具体の運用課題として示し、加害者支援という最難領域に実装する点にある。一次経験と理論の往還は説得的で、議論の土台が感情でも善意でもなく、外付けの倫理と持続可能性に置かれていることは本書の白眉であると言える。
他方で、制度設計の粒度はさらに磨き得る。行政や司法との接続といった論点は、比較事例とデータの追加、筆者の実務のより深い記述を以てすれば、いっそう強靭になるだろう。しかしそれは欠点ではない。読者に手渡された次の課題である。学校や職場、オンラインのコミュニティに、この作法をどう持ち込み、どう検証し、どう更新するか。永井の提案は、そこで初めて本当の意味で試される。
結局のところ、本書が促すのは「共感から逃げる」ことではない。認知的共感を基礎に置き、情動の力を扱えるように場を設計し、救えないという事実を前提にした上で最大限を救う。この現実主義こそが、共感を社会のために安全に使う最低条件である。
共感が人をつなぎもすれば、殺すことを正当化もするという二面性を引き受け、外付けの倫理で偏りを補正し、関係の持続可能性で判断する。永井が長年の現場から示すのは、そうした手順の強さに賭ける勇気であり、そしてそれは誰にでも学べる技術だという事実である。
更新:10月04日 00:05