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「しつけ」や「愛情」という暴力からの解放 『家族と国家は共謀する』【書評】

2025年06月24日 公開

大村壮太(作家)

「しつけ」「愛情」という暴力

臨床心理士・信田さよ子の仕事は、常に「家族」という名の密室で繰り広げられる、声なき人々の痛みに寄り添うことから出発する。共依存、アダルト・チルドレン、母娘問題、そしてDVや虐待。彼女が一貫して光を当ててきたのは、愛情という名のヴェールに隠され、私的な領域の問題として社会から黙殺されてきた魂の扼殺の現場であった。

その長年の臨床経験の集大成であり、同時に新たな地平を切り拓いた一冊が、本書『家族と国家は共謀する』である。

「家族」と「国家」。あまりにスケールの異なるこれら二つの単位を「共謀」という刺激的な言葉で結びつけた本書は、一見するとラディカルな社会評論の相貌を呈している。

しかし、その核心にあるのは、信田が臨床現場で対峙し続けてきた、極めてパーソナルで、しかし普遍的な「暴力」と「ケア」をめぐる葛藤である。

本書は、家父長制のミニチュアとしての「イエ」と、その集合体である「国家」の構造的類似性を丹念に解き明かしながら、最終的に私たちの時代の最も困難な問いへと読者を導いていく。それは、被害の痛みをいかにしてケアへとつなげ、新たな加害や権力へと転化させないか、という切実な問いだ。

 

「レジスタンス」という言葉の発見

家族と国家は共謀する

本書の前半で展開されるのは、家族内部の力学と国家のそれとの鮮やかなパラレル構造の分析である。信田は、カウンセリングの現場で出会うクライエントの語りの中に、国家が戦争やナショナリズムを駆動させる際と酷似した論理を見出す。

それは、異質なものを排除し、家長や権力者の意向を絶対視させ、構成員に盲目的な忠誠を強いる構造だ。母親から娘へ、あるいは世代から世代へと受け継がれていく「抑圧の委譲」のメカニズムは、まさに国家が国民を支配し、その暴力を内面化させていく過程と相似形をなしている。

この構造の中で、被害者はしばしば沈黙を強いられる。暴力は「しつけ」や「愛情」といった言葉にすり替えられ、被害の訴えは「わがまま」や「恩知らず」として退けられる。こうして「私的領域」に隠蔽されてきた暴力を、再び公の領域に引き戻し、その構造を可視化するために不可欠なのが「政治の語彙で語り直すこと」だと信田は説く。

そのための最も重要な武器が「レジスタンス(抵抗)」という言葉だ。これまで被害者が示す一見不可解な行動——たとえば加害者に媚びへつらう、自虐的になる、あるいは無気力になる——は、「サバイバル(生存戦略)」や「レジリエンス(精神的回復力)」といった言葉で説明されてきた。

しかし信田は、それらを支配的な権力構造に対する、ぎりぎりの抵抗の試みとして捉え直す。それは、自己の尊厳を完全に明け渡すことを拒む、魂の最後の蜂起である。この「レジスタンス」という視点の導入は、被害者を単なる無力な客体から、主体的な抵抗者へと転換させる画期的なコペルニクス的転回であり、本書が持つエンパワーメントの力の源泉となっている。

 

「被害者権力」という隘路への警戒

しかし、本書の真価、そして信田さよ子の仕事の核心が最も鋭く現れるのは、この「レジスタンスとしての語り」が孕む危険性に筆が及ぶ後半部である。

被害を語ること、自らを「被害者」として位置づけることは、不可視化された暴力を告発し、回復への第一歩を踏み出すために絶対的に必要だ。だが、信田はその先に潜む深刻な隘路を見逃さない。それは、「被害者」というポジションがアイデンティティとなり、新たな「権力」として機能し始めるという逆説である。

信田は、長年の臨床経験から、この「被害者という立ち位置を使った感情の暴走」に対して、極めて鋭敏な警戒心を抱き続けてきた。それは、被害を受けたという事実が、その後の自身のあらゆる振る舞いを正当化する万能のカードとして振りかざされてしまう事態だ。

他者への配慮を欠いた要求、自分以外の痛みを想像できなくなる共感性の欠如、そして自らの正しさを疑わず、異論を唱えるものを「敵」として攻撃する姿勢。これは、かつての加害者が行使した権力構造を、被害者が無自覚に内面化し、再演しているにほかならない。

この「被害者権力」の問題に対する信田の視線は、どこまでも真摯で、痛々しいほどだ。彼女は、被害感情を振りかざしてしまう人々の心を、決して断罪しない。その行動の裏にある、癒やされざる深い痛みと、何かにすがらなければ自己を保てないほどの脆弱さを受け止める。

その上で、そのあり方がいかに本人を孤立させ、真の回復から遠ざけてしまうかを、カウンセラーとして、一人の人間として、共に悩み抜こうとする。この、被害によって歪んでしまった魂をどうケアしていくべきなのかという問いへの、ごまかしのない眼差しこそ、本書の白眉と言えるだろう。

信田にとって、被害者の語りは、あくまで回復に向かうために必要な「一時的なポジション」であり、決して安住すべき場所ではないのだ。

 

私たちに示された、ケアという名の態度

では、どうすればいいのか。どうすれば、被害の経験を語り合い、支え合う「つながり」が、ケアとして純粋に機能し、権力の暴走や下方比較に陥ることを避けられるのか。

この問いに対し、信田さよ子は安易な処方箋を示すことはしない。しかし、彼女が「答えを出していない」と考えるのは早計だろう。本書全体を貫く彼女の臨床家としての眼差しそのものが、極めて実践的で誠実な「態度」としての答えを示唆しているからだ。

その態度とは、まずケアする側が、被害者の断片的な語りを、その背景にある家族や社会の構造の中に置き直し、丁寧に「文脈化」していく作業に他ならない。なぜその行動が「レジスタンス」だったのかを共に理解し、名付けえぬ痛みに言葉を与えていく。それは、被害者自身が自らの経験を客観視し、支配の構造から抜け出すための足場を築く、不可欠な共同作業である。

だが、信田の思想が真にラディカルなのは、まさにこの「文脈化」というケアの営みそのものが孕む、暴力性への鋭い自己言及を促す点にある。

「あなたの痛みは、こういう家族構造から来ているのですよ」と専門家が解釈し、定義づける行為は、どれだけ善意に満ちていても、相手の物語を規定し、意味を上書きする「支配」になりうる。ケアとは、本質的に非対称な権力関係の中で行われるという事実。この痛みを伴う自己認識から、信田は決して目を逸らさない。

したがって、信田が指し示す道は、完成された方法論ではなく、むしろ終わりなきプロセスとしての「態度」そのものである。

それは、「他者を支配しないように生きる」という、絶えざる緊張感を強いられる実践だ。ケアとは、自らが相手を支配し、規定してしまうかもしれないという可能性を常に引き受け、その危うさに絶えず配慮しながら、それでもなお相手と関わろうとすること。この「絶えざる自己点検」の倫理こそが、つながりがケアであり続けるための、そして暴走に陥らないための唯一の担保なのだろう。

『家族と国家は共謀する』は、壮大な社会構造の分析から始まりながら、最終的に読者自身の足元を鋭く照射する。

それは、私とあなたの間の関係性という、最もミクロな領域における倫理を問い直す実践の書である。本書を読み終えたとき、私たちは「被害」と「加害」、「ケア」と「支配」が、決して固定された対極にあるのではなく、私たちの内で、そして私たちの関係性の中で、常に揺れ動いている現実を突きつけられる。

その危ういバランスの中で、自らが権力性を帯びる危険から目を逸らさず、それでも他者と関わることを諦めない。その覚悟を引き受けることこそが、信田さよ子が臨床と著作の全てをかけて示そうとしている、誠実さの核心なのである。

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