2012年10月29日 公開
2022年10月13日 更新
道路公団民営化推進委員として奮闘し、2007年からは東京都副知事も務める作家・猪瀬直樹氏。
昨年3月の東日本大震災の際には、ソーシャルメディアを駆使しつつ陣頭指揮を執り、ときには既存のルールを無視し、イレギュラーな決断をしながら人命救助にあたった。
“想定外”の状況にあっても揺るがない精神力をもつには、どのように考え行動しているのか。<取材・構成:前田はるみ/写真撮影:永井浩>
※本稿は、『THE21』2012年11月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。
猪瀬直樹氏は、東京都副知事として東京都庁という巨大組織を束ね、日々発生する問題解決の陣頭指揮にあたっている。どんな状況でも感情に振り回されず、平常心でいられる人は、そうではない人とどこが違うのだろうか。
「いちばん大きな違いは、頭の切り替えの早さでしょうね。たとえば、上司から叱られるとすぐに落ち込んだり、不機嫌な顔をする人がいますが、叱られたら『あ、そうか』と気づくことが大事。
叱られるには叱られるだけの理由があり、部下のことを考えている上司なら『お前のこういうところがよくない。こうしてみたらどうだ?』といった助言があるはずです。なぜ叱られたのかを考えて、自分の間違った考え方や行動を改善する方向に目を向けられる人が、平常心を保てる人ですね。
そこで落ち込んだり、反発したりするのは、小さい自分にこだわっている証拠。小さな自分のプライドが邪魔して、上司からの注意や助言に対して素直に『あ、そうか』と思えない。僕からすれば、『あなたにはそこまでこだわる自分があるの?』といいたいですね」
小さな自分のプライドを捨てて、頭を切り替えると、そこに新たな展開が開けることがあるという。猪瀬氏は今年2月、東京マラソンに初挑戦し、見事に完走した。50年以上もランニングには無縁だった猪瀬氏が、フルマラソンを完走できたのも、ピンチをチャンスに変えてきた結果だった。
「一昨年の秋から走り始めた僕が、東京マラソンに出ようと思ったのは、昨年末のある出来事がきっかけでした。箱根のホテルに泊まろうとキャンセル待ちを入れていたのですが、震災の反動で旅行客が増えていて、結局、部屋が取れなかったのです。
ホテル側は代わりに東京・台場にある系列ホテルを手配してくれたものの、楽しみにしていた予定の変更は少し残念でした。
お台場のホテルにチェックインしてからも、『どうしてここに泊まることになってしまったんだ』という思いは消えません。そこでふと窓の外に目を向けると、きれいにライトアップされた観覧車と、東京ビッグサイトがみえる。
『あっ、ここが東京マラソンのゴールか。ちょっと走ってみようかな』という気持ちになったんです。翌日、とりあえず走ってみたら、平地だから走りやすくて、自分としては過去最高の11kmも走ることができた。それで東京マラソンに出てみようと思うようになったわけです。
箱根で年末休暇を過ごせなかったのは残念でしたが、いつまでも愚痴をこぼしていても仕方がありません。そこでいかに頭を切り替えて、不本意な状況でも『何かいいことがあるかもしれない』と思って、新天地を見つけられるかどうか。これが、どんな状況でも心を乱さない、ネガティブな感情に引きずられないためのコツですね」
フルマラソン出場に向けて準備を始めたものの、副知事と作家を兼務する猪瀬氏の日々は忙しく、十分に練習する時間もない。42.195kmという未知の領域への挑戦には、プレッシャーもあったはずだ。
しかし、「どんな困難に思える状況に直面しても、切り抜ける方法は必ずある」と猪瀬氏はいう。
「なんとかフルマラソンの半分の20kmを走れるようになったとき、東京マラソンを運営するスポーツ振興局長に、チャリティーランナー枠での大会参加の意思を伝えました。
すると、マラソン経験者でもある彼が僕にいったのは、『30kmを走ったことはありますか?』。30km走れないとフルマラソンは難しいと釘を刺されたわけです。
もちろん30kmを走ったことなどありません。当時は東京電力の電気科値上げ問題で戦いの最中でしたので、練習で30kmも走るほど、時間的余裕もありません。
けれども、『時間不足で練習できなかったから、完走できませんでした』というのは、言い訳にしかならない。何事も結果がすべてです。
そこで考えたのは、30kmは走れないけれども、本番のコースで30km地点からゴールまでの12kmを実際に走ってみようということ。マラソンでは30kmを過ぎるころから急激に体力が消耗し、そこからゴールまでがいちばんきついといわれています。
局長が30kmにこだわるのは、そのつらさを本番前に経験しておいたほうがいいということなのでしょう。だったら30kmを過ぎて身体がバテても、自信を失わないように準備しておけばいい。実際のコースを走ってみて、どこにどんな上り坂があるのか確認しておけば、30kmを過ぎてからのつらさを闇雲に不安がる必要はないと考えたのです。
このように、一見して難しいと思えることでも、視点を変えてみれば、自分の能力や経験値、持ち時間の範囲内でできる解決策があるはずです。それを考え出すには、『できない、どうしよう』というネガティブな思い込みを捨てる頭の切り替えも必要でしょう。
よく、『準備が足りません』と言い訳する人がいますが、準備が足りないのは当たり前。準備があり余っている人などいません。準備不足のギリギリの状態のなかで、どうやって事態を切り抜けるかを考えることが大事だと思います」
昨年の東日本大震災では、まさに「想定外」の出来事が次々と起きた。そのようななか、東京都は猪瀬氏のリーダーシップのもと、迅速な判断とゆるぎない決断力で想定外の事態に臨機応変に対処し、困難を乗り切っていった。
「震災当日、都内では交通機関がマヒして、携帯電話も固定電話もつながりにくくなりました。われ先にと家路を急ぐ人びとの大移動が始まり、帰宅困難者の問題が深刻化していました。
そこで僕は、都庁のホームページに避難場所の情報を掲載することを提案した。いまの若い人はツイッターやフェイスブックで情報交換をするから、ネット上で必要な情報を拡散できると考えたからです。
それを受けて、NHKが『東京都のホームページで避難場所をご覧ください』とアナウンスしはじめると、東京都のホームページにアクセスが集中して、避難場所が確認できない状況になってしまった。
これはマズイと思って、今度はツイッターを使って情報をつぶやきながら、一時収容施設の一覧表をアップした僕のブログに誘導するようにしたのです。こうすることで、ツイッターとフェイスブックを通じて情報が拡散していきました」
このような緊急時において的確な判断や決断を下していくには、平常時とは異なる心構えで物事に対応する必要があるのではないだろうか。そう思って質問すると、「いいえ、緊急時も平常時も考え方は同じです」という意外な答えが返ってきた。
「事態をどうやって切り抜けるかという意味では、緊急時も平常時もやるべきことは同じです。先ほどのマラソンの例に戻れば、練習で30kmを走ったほうがいいとアドバイスされてもその時間がないという、正攻法が通じない状況は、十分に“緊急時”だといえます。
そのような土壇場を切り抜けるための解決策を考えようとすることで、1歩ずつ前に進んでいくことができるのです。
あえて違いを挙げるとすれば、緊急時のほうが、平常時よりも問題解決にかけられる時間が短いという点でしょう。
東京マラソンの準備にはある程度の時間をかけることができますが、事態が刻々と変化する震災のような状況下では、あれこれ思い悩んでいる時間はありません。ときには、すべての情報が集まるのを待たずに動き出し、その都度軌道修正していくことも必要です」
緊急性が高くなると、普段は冷静に考えられる人でも、プレッシャーからパニックに陥ってしまうこともあるのではないだろうか。
「平常時に冷静に事態を切り抜けられる人は、緊急時でも同じ対応ができます。なぜなら、緊急かそうでないかが問題なのではなく、普段から事態を切り抜けようと努力していることが大事だからです。
普段から『○○だからできませんでした』と言い訳している人が、緊急時の大一番で力を発揮できるはずがありませんからね。普段からの習慣が緊急時の対応に表われますから、常日頃から困難なことを避けずに、場数を踏んでおくことが大事ですね」
更新:11月27日 00:05