「テニスをできることが有難い、と思うようになりました」
いまから約4年前、彼女の現役復帰のニュースを聞いたとき誰もが驚いた。
そして、その年の全日本選手権シングルスとダブルスでの優勝に世間はさらに驚き、勇気づけられた。
年齢からいえば不利なはずなのに、彼女はそれを乗り越えている――。
いまも世界を舞台に挑戦を続ける彼女に注目している読者も多いことだろう。
彼女の言葉はビジネスマンにとってもきっと参考になるはずだ。
※本稿は『THE21』 2012年8月号 巻頭特別インタビューより一部抜粋・編集 したものです。<取材・文:佐藤智子>
――40歳を超えて現役を続けるだけでなく、周囲が驚くような結果を残し続けているクルム伊達公子選手。これまでの常識では考えられない活躍ができるのは、いったいなぜなのか――。
「有難いことに、『20代の現役のときよりいまのほうが、身体能力が高くなっているのでは?』とよくいわれます。(笑)
たしかに、ある部分ではそうかもしれません。それが可能になったのは、自己管理の結果なのではないかと自分では思っています。以前よりストレッチは入念に行ないますし、疲労を取って回復力を高めるためのマッサージも欠かしません。試合のためにできるかぎりの準備をして、無理はするけれど無茶はしないように心がけています。
若いころは、体力に任せてただがむしゃらに突っ走る、というところがありました。練習も可能なかぎりの時間をとって、限界までハードなことをする、というやり方。でもいまは、身体の声を聞きながら、量より質を重視したトレーニングをするようになりました。
私は朝、目覚めた瞬間、ベッドから起き上がるだけで自分の身体の調子がわかるのです。もし調子が悪い日なら、眠りが浅かったのか、それとも疲れがまだ残っているのかと、まず原因を考えます。そしてそれをもとに、その日の練習プランを組み立てます。自分の状態に気づいて、それに対する対策を練る姿勢で組み立てていくと、効率的な練習ができるのです。
以前に現役だったころと比べれば、体力や回復力が落ちていることは、素直に認めなくてはなりません。だからこそ、ムダを削ぎ落とし、有効な練習方法を考える必要があるのです。
けれどもそれは、疲れているときは練習量を減らす、といった単純な話ではありません。じつは、疲れているほうが体力を意識してセーブするので、余計な力が抜けて、かえってテニスの調子がよくなることがあります。また、不調ならば自然に慎重になりますから、動作が丁寧になって、ケガが少なくなるという利点もあります。一概に不調が悪いとはいえません。大切なのは、身体の声に耳を傾けて必要な対処をすることです。そうすることでトラブルの芽を摘んだり、身体の不調もいい方向に活用できたりするようになると思います」
――効率を重視する姿勢は、練習だけでなく、彼女の生活全般でつねに意識していることなのだという。
「私はできるかぎり時間を効率的に使いたいタイプなのです。忙しいときは分刻みでスケジュールを組んで、予定を次々とこなします。その代わり、オフの日は自宅でゆっくり過ごす。そういうメリハリを大事にしています。移動で空港を利用することが多いのですが、『出発の2時間前に着いてゆっくりお茶を飲んで過ごす』なんてことはまずありません(笑)。その時間をほかのことに使いたいのです。
私が時間を有効に使いたいと考えるのは、『1分の大切さ』を、身をもって知っているからかもしれません。テニスでは1分あれば試合の流れが変わります。負けている試合であっても逆転が可能なのです。ましてや、アスリートとしての私に残された時間は決して多くはないですから、よりいっそう時間を有意義に使いたいのです」
――とはいえ、以前に現役だった20代のころには、そんなことはまったく考えず、時間も体力もまるで無限にあるかのように考えていた、と彼女は語る。
「そのせいか、以前は、自分がこうと思ったら人の話に耳を貸さないところがありました。頑なでしたね。テニスをする機会を与えてもらっているというのにそれに感謝できず、当然のことのように思っていたかもしれません。
でもいまは、テニスが続けられることをほんとうに有難く思っています。時間を大切にするようになったのも、そうした精神面の変化が影響していると思います。
以前とは違って、人の意見を聞いて受け入れられるようになりました。強がらずに、人がいいというものを一度は試してみようと行動するようになったのです。
よりよい結果により効率的に辿り着こうと思えば、選択肢はできるだけ多いほうがいい。いいものは取り入れて、最後は自分で決める。そういう柔軟性は大切だと思います」
――彼女は26歳での引退から11年半ものブランクのあとに、37歳で再挑戦を開始した。身体能力がものをいうスポーツの世界では異例のことだが、一度テニスの世界を離れたからこそ、改めてわかったこともあったという。
「いまだからいえるのですが、26歳で一度引退したころは、テニスが大嫌いになっていました。当時はいまより海外で戦うアスリートの数は少なかったですし、携帯電話やネットなども発達していませんでしたから、孤独を感じることも多かったのです。世界ランキング4位まで到達したころは肩の痛みがひどく、周囲の期待がプレッシャーになり、マスコミへの応対などもあって疲れ切っていました。
ですから初めは、テニスを離れた普通の生活が嬉しくて仕方ありませんでした。時間や行動の制限からも解放されて、やりたいことが何でもできる。ストレスもありません。しかし、『キッズテニス』の指導や解説の仕事、マラソンなどほかのスポーツへの取り組みなど、さまざまな活動に取り組むにつれて、テニスに対する思いが変わってきたように思います。
ちょうどそのころ、エキシビションマッチに出ないか、というお誘いがあったので、悩んだ結果、受けることを決め、半年間必死に練習しました。ところが、練習試合をしても若手の選手になかなか勝てないのです。それを何とかして勝ちたいと取り組むうちに、戦う楽しさを思い出してしまった。
人間というのは成長を求める生き物だと思うのです。試練を乗り超えて自分のレベルを上げたい。そういう気持ちは誰しも心のなかにもっているのではないでしょうか。私の場合、その気持ちを思い起こさせてくれたのは、やはりテニスでした。『やっぱり私はテニスが好きだったんだ』と気づくのに11年もかかってしまいました。でもそれは私にとって必要な時間だったと思います」
――ところで、テニスの試合は、長ければ3~4時間にもおよぶ長丁場。それだけのあいだ、どうやって集中力を保ち続けているのだろうか。
「テニスは何かと予定変更の多いスポーツです。第一試合の開始時間は決まっていますが、そのあとに予定されている試合はいつ始まるかわかりません。何時間も待たされることもありますし、天候不良が原因で中止になったりコートが変更になったり、対戦相手が変わることもあります。ですから、どんな場合でも動揺をできるだけ抑える自己コントロールカが大切になります。
自分の気持ちを平静に保つには、沈黙する時間も必要ですし、一人になれる空間も必要かもしれません。でも私は、感情を抑えるのではなくあえて吐き出す、という方法も採ります。
思い通りのプレーができなくて自分に苛立った場合や、スケジュールの突然の変更、審判のミスジャッジ。腹が立ったらそれを我慢しないで、『ハア!』と大きく息を吐き出したり、必要ならば審判に抗議したりもします。でも、次の瞬間には気持ちを切り替える。怒りを発散して、あとに残さないようにしているのです。それが自己コントロールでもっとも気をつけていることです。
ふだんからそういう習慣が身についていますから、私は怒りをあとに残しません。腹が立つことがあっても、翌日にはケロッと忘れてしまえるんですね」
――試合中と同じように、日常生活のなかでも自己コントロールの意議を大切にしている、と彼女は語る。
「テニスの練習はもちろんのこと、それと同様に私が意識しているのは、練習を含めた毎日の生活全体を整えるということです。寝ること、食べること、楽しむこと。自分の決めたことをコツコツと持続させることで、自分の体調や心の変化にもすぐに気づくことができます。
たとえば、2006年に始めてからほぼ毎日書いているブログは、自分を知るうえで貴重なバロメーターになっています。テニスのことやその日の状態など、かなり正直に書いているのですが、試合がうまくいかなかったときには、『考えるのは今日はやめて早く寝よう』『今度はこう考えよう』と、前向きに気持ちの切り替えを記しています。
ブログで宣言することで、自分に言い聞かせている部分もあるかもしれません。
でも、たった1つのことでも毎日何かを続けるには、それなりに気持ちを強くもつ必要があります。時間通り、予定通りのルーティンをつくることで、自分のなかにリズムが生まれます。
そうしてやるべきことをコツコツこなし、決めたことをきちんとやり抜くことが、いずれ実を結ぶのだと思います」
<著者紹介>
クルム伊達公子(くるむ・だて・きみこ)
1970年、京都府生まれ。6歳からテニスを始め、18歳でプロテニスプレーヤーに。94年に日本人選手として初めてWTA世界ランキングトップ10入り(ランキング9位)を果たすなど、世界のトップレベルで活躍。96年11月に世界ランキング9位で引退。2001年、ドイツ人レーサーのミハエル・クルム氏と結婚。08年、「新たなる挑戦」を宣言し、「クルム伊達公子」名でプロテニスプレーヤーとして再挑戦を開始。08年、全日本選手権シングルス・ダブルスを制覇。その後、挑戦の場を世界ツアーに移して活躍している。エステティックTBC所属。
著書に 『進化する強さ』『負けない!』(ともに、ポプラ社)などがある。
更新:11月27日 00:05