2023年05月10日 公開
イラスト:松尾達
人生100年時代を生きるビジネスパーソンは、ロールモデルのない働き方や生き方を求められ、様々な悩みや不安を抱えている。
本記事では、激動の時代を生き抜くヒントとして、松下幸之助の言葉から、その思考に迫る。グローバル企業パナソニックを一代で築き上げた敏腕経営者の生き方、考え方とは?
【松下幸之助(まつしたこうのすけ)】
1894年生まれ。9歳で商売の世界に入り、苦労を重ね、パナソニック(旧松下電器産業)グループを創業する。1946年、PHP研究所を創設。89年、94歳で没。
※本稿は、『THE21』2022年11月号に掲載された「松下幸之助の順境よし、逆境さらによし~経営のコツここなりと気づいた価値は百万両」を一部編集したものです。
例えば同じチェーンのラーメン店でも、立地や味の微妙な違いで経営に差があるものだ。ではその要因はすべて環境的条件に帰せられるかというと、やはりそうではない。必ず経営の上手い下手が取り沙汰されよう。
松下幸之助が言わんとするのもまさにそこで、経営にはコツがあり、それに気づくか気づかないかで恐ろしいほどの差が生じるということである。幸之助はこの言葉を特殊な場で発した。
1934(昭和9)年の元旦の挨拶で、幸之助は社員に対して次のように述べた。
「諸君は、各自受け持った仕事を忠実にやるというだけでは充分ではない。必ずその仕事の上に、経営意識を働かせなければ駄目である。如何なる仕事も経営と観念する所に適切な工夫も出来れば新発見も生まれるものであり、それが本所業務上効果大なるのみならず、以て諸君各自の向上に大いに役立つ事を考えられたい。されば諸君にお年玉として左の標語を呈しよう。
『経営のコツここなりと 気づいた価値は百万両』
これは決して誇大な妄語ではなく、真に経営の真髄を悟り得た上は、十万百万の富を獲得する事もさしたる難事ではないと信ずるのである」
幸之助は、企業経営に限らず、およそ何らかの目標を立ててその実現をめざす活動はすべて経営であり、その経営をうまく行なうためにはコツをつかむのが大切だと考えていた。
ただ、そのコツはどうすればつかめるのかというと、
「これがまさにいわくいいがたし、教えるに教えられないもの。経営学は学べても、生きた経営のコツは、教えてもらって『分かった』というものではない。いわば一種の悟りというべきものではないか」という。
槍玉に上がった経営学の表現になるのかもしれないが、「言語化され、客観的な知識」を指す形式知ではなく、「経験や勘に基づく」実践知なのである。
卑近な例だが、筆者は学生時代、数カ月魚市場でアルバイトをしてあるコツをつかんだ。巨大な氷柱を専用の鋸で真っ二つに切る仕事で、当初は半分くらいまで切らないと割れなかった氷柱が、鋸の形状を理解し、刃を入れる角度と力の加減を覚えると、数度刃を往復させただけでスパンと切れるようになった。誰でもそうした経験はあるのではないか。
百戦錬磨の将軍なら、地形を見ただけでかなりの確度で勝敗を占う。『キングダム』の合戦シーンは、武力に留まらず、兵士たちの士気や地形の科学など、戦場における微妙な要素をいかに読み取り、勝負を手繰り寄せるかという駆け引きの連続だ。
経営におけるコツというなら、かつて日本電産の永守重信社長(当時)の取材時、入社数年目の若手社員を海外の工場に赴任させるという話を聞いた。
日本にいる頃と違い、責任の範囲は広く、外国人をマネジメントする気苦労も多い。しかしながら、帰国させたときの成長の速さは格段になる、とうかがったことがある。
日々の仕事に集中し、都度、成功した要因の把握と、うまくいかなかった場合は課題の検証を怠らない。そのルーティンをくり返していたら、知識と理論に体感的な修練で会得したコツというしかないある能力は、着実に身につき応用に富む。
幸之助にしても、独特の数字の把握による判断の速さや工場のラインを一回りしただけで稼働状況がわかるといったエピソードは事欠かない。
更新:09月14日 00:05