2023年05月17日 公開
今年で5年目を迎える日比谷音楽祭。その実行委員長を務めるのが、J-POPの最前線で活躍し続ける亀田誠治氏だ。様々な困難を乗り越えて立ち上げた日比谷音楽祭にかける熱い思いや、音楽と向き合う姿勢について語っていただいた。
(取材・構成:前田はるみ、写真撮影:遠藤宏、ヘアメイク:大谷亮治)
※本稿は、『THE21』2023年5月号に掲載された「目の前にある音楽に貢献するために、常に『全亀田』を投入しています」を一部編集したものです。
――2019年から開催されている日比谷音楽祭は、今年で5年目を迎えます。まずは、この参加無料の「フリーの音楽祭」を立ち上げるに至った思いや、その目指すところについてお聞かせいただけますか?
【亀田】僕は今、58歳なんですが、10年くらい前からですかね、サブスクの登場などで音楽の聴かれ方が大きく変化する中で、日本でJ‒POPを愛し制作している人間として気になることがあって。
というのも、日本では音楽そのものよりも、例えばCDなら付属の特典ライブ映像とか、ライブやコンサートならグッズとか、本編の楽曲以外のオプションに対して消費行動が起きている気がしたんです。
音楽そのものを聴いて感動するとか、コンサートに行ってアーティストが目の前にいる姿を見て感動するとか、そういったリアルな体験が損なわれている気がしていました。
――なるほど、たしかに楽曲以外のものが増えていますね。
【亀田】そうなんですよ。そんな中、50歳のときに1カ月間ニューヨークに滞在したのですが、お昼時にセントラルパークを散歩していたら、音楽が風に乗って聞こえてきたんです。それがとても気持ち良くて。
ふと周りを見渡すと、公園の中に行列ができている。聞くと「この公園では、6月から10月まで、毎晩のようにフリーコンサートが開かれている」と。
僕も列に並んでみました。その日に観たのは、アレサ・フランクリンと同時代を生きたソウルのレジェンド、メイヴィス・ステイプルス。別の日にはキューバ出身のご機嫌なサルサバンドだったり、エルヴィス・コステロが自分のバンドを連れて出演していて、めちゃくちゃカッコいいんです。
お客さんたちも音楽と共に思い思いの時間を過ごしている。これってすごく豊かなことだなぁ、と思いました。音楽がある日常を東京でも作れないだろうか――この光景を目と耳と胸に焼きつけて東京に戻ってきました。
そんな僕に、日比谷公園全体を使った音楽フェスをプロデュースしてほしい、と依頼があったんです。僕がニューヨークで見てきた、ピースフルで、親子孫三世代が何の屈託もなく音楽に触れられる場を作る絶好のチャンスだと思って引き受けました。2016年のことです。
――思いが叶う! そんな偶然があるんですね。
【亀田】そうなんです。そのあと1~2年かけて準備を進めていくのですが、実は僕、大きなボタンの掛け違いをしてしまっていたんです。
――どういうことですか?
【亀田】主催者側が考えていたのは有料開催で、亀田誠治プロデュースにより有名アーティストが集う音楽の祭典のイメージでした。
そこに僕はまったく違う概念で、大御所から新進気鋭の様々なアーティストが集い、誰もが気軽に音楽に触れるきっかけの場を作りたいと。もちろん無料開催です。お互いに何度も話し合いましたが、ずっと平行線で、まるで大坂冬の陣・夏の陣のような兵糧攻めですよ。どちらが先に音を上げるかって。
そうこうするうち、実は2018年に第1回を開催することになっていたのですが、資金集めを担当していた代理店が途中で撤退してしまいました。「亀田さんがやろうとしていることは前例がない。そういった事業に我々はこれ以上関われない」と。
――ええ、そんなことが!? 代理店はなぜそれほど頑なに無料開催に反対したのでしょう?
【亀田】それは......、日比谷音楽祭の本質をちゃんと伝えられなかった僕の力不足です。有料開催でも無料開催でも企業協賛を募ることに変わりありませんが、その質がまったく違っています。
僕が無料開催でやりたかった企業協賛は「企業の価値創造」で、自分たちが文化を応援していることに企業で働く人たちも誇りを持てるような協賛でした。
でも、当時はそうした企業協賛はあまり行なわれておらず、「協賛によってどれだけ露出とメリットがあるか」に重きを置いているところがあって。 僕が目指す音楽祭は、彼らにとっては「費用対効果も含めスポンサーを説得できるに至らない案件」だったんだと思います。
実際、協賛が決まりかけていたメーカーが別のイベントに乗り換えてしまったこともありました。
更新:11月21日 00:05