2021年06月21日 公開
2023年02月21日 更新
プログラマーとしてキャリアを始めたものの、業界ではビリの位置にいた澤円氏。しかし、マイクロソフトに入社して、卓越した社員にのみビル・ゲイツ氏が授与する「Chairman's Award」を受賞するまでに成長した。その理由は、常識に縛られなくなったことにあるという。
※本稿は、澤円著『「疑う」からはじめる。』(アスコム)の一部を再編集したものです。
たとえば、あなたが地方で暮らしているとします。そして「都会に比べてチャンスが少ない」と感じることがあるかもしれません。当然、都会には圧倒的に多くの仕事があります。
しかし、現実には多くの人がそこで自分本来の力を発揮できずに埋もれています。その一方で、地方に住むユニークネスを存分に活かし、刺激的な仕事をしながらハッピーに生きている人もたくさんいます。
「田舎だからうまくいかないんだ……」
こんなふうに、自分のなかで勝手につくった「ものさし」で自分と他人を比較していると、気持ちはどんどん落ち込んでしまうことでしょう。
「英語が話せれば、もっとやりたい仕事ができたのに」
「定時に帰ったら、上司から悪く思われるにちがいない」
「もっと接待しなければ、きっと取引を止められてしまう」
僕たちの仕事や生活、そして人生のなかには、さまざまな思い込みが、じつにたくさん存在しているのです。
「思うようにいかない理由」や「自己実現できない理由」を見つけるのは簡単です。そして、恐ろしいことに「~だから無理」と思った瞬間、そこがゴールになってしまいます。
そこで大切になるのは、「あたりまえ」を「疑う」からはじめること。思い込みを捨てて、「では、どうすればできるのだろう」と考えてみます。なぜなら、思考は行動に直結するからです。
新型コロナウイルスの出現以降、仕事の前提条件が変わりました。僕たちはこれまで以上に「あたりまえ」を疑い、新たな価値をつくっていく必要があります。「疑う」からはじめるときなのです。たとえば「出勤」という「あたりまえ」を疑ってみましょう。
これまで、みんながいる会社に行きさえすれば、自動的に部署やチームに組み込まれて、そこで与えられた仕事に取り組むことができると、多くの人が思い込んでいました。でも、仕事とは本来、なんらかの価値を創造することのはずです。
仕事の本質を理解せずに、ただ会社に行って与えられた作業をこなすことを仕事だと勘違いしていた人たちは、コロナ禍のもと、「出勤」できない状態を強いられたとき「いままで自分はなにもしていなかった」と身をもって体験したのではないかと思うのです。
本当は仕事ができていなかった人が、あぶり出されてしまったということです。会社という場に依存している人が日々取り組む仕事のほとんどは、まさに「出勤」することに紐ひもづいた作業なのだということが、「出勤」という「あたりまえ」が覆えされたとき、はじめて見えてきます。
仕事がなんとなく用意されている「場」は、今後どんどん減っていきます。それに応じて、「わたしはこれをやります」「この打ち合わせには出ません。その時間にこれをしたいからです」というように、主体的に取り組まなければそもそも仕事が成立しない状態になりつつあります。
そんな仕事のあり方の根本的な変化を肌身で感じている人は、とても増えていると推測します。すでに僕たちは、既存の価値観を「疑う」からはじめる時代に生きているのです。新型コロナウイルスの出現は、僕たち一人ひとりの変化を、さらに社会全体の変化をいやおうなく加速させていくでしょう。
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更新:11月24日 00:05