2019年08月23日 公開
2019年08月23日 更新
30歳で晴れてお天気キャスターになった天達氏だが、キャスター経験がほとんどないゆえに、そこからも前途多難だった。
「テレビマンがずらりと並ぶ前に立つと、もう敵に包囲されているような感覚でしたね。
でも、番組初日にメインキャスターの小倉智昭さんがアドリブで『あまたつー!』と呼んでくれて。
それがお天気コーナーのお決まりフレーズのようになっていきました。その中でも失敗はしょっちゅうだし、怒られるしで、いつクビになってもおかしくないと思っていました」
流れが変わったのは、お天気キャスターとなって2カ月後の番組の納会の席だった。
「小倉さんがみんなに向かって『俺は天達を有名にするんだ!』と言ってくれたんです。あのとき、後ろ向きだった自分がガラリと変わりました。
失敗しようが、カッコ悪かろうが、とにかく自分は全力でお天気キャスターの仕事をまっとうしよう、と。
小倉さんの期待や面白い番組を作ろうと頑張っているスタッフの努力を無駄にしてはいけないと、腹をくくったんです」
それから天達氏は、みるみる頭角を現し、今やお天気キャスターランキングのトップに名を連ねるまでになった。
資格を取ってから17年、今日に至るまでの紆余曲折を振り返って、天達氏は語る。
「それまでの自分は何も取り柄がないし、マイナス思考でした。でも、資格に受かってようやく一つの成功体験を手にできた。そこから心に余裕が生まれたのだと思います。
周りの人のアドバイスや協力を素直に受け取れるようになった。出会った方々の協力なくして、今の自分はなかったと思います」
資格はキャリアを変えるパスポートになるが、それを生かしていけるかは、また別の問題だ。
「悩みやできないことを包み隠さず話して、一生懸命取り組んでいけば、誰かが見ていてチャンスを与えてくれるときが来ると、僕の経験上、感じています」
資格取得までは自分との戦いだが、社会で活用していく以上、人との関わりやネットワークが道を拓くカギになる。
遅いスタートだったお天気キャスターの仕事だが、その初心を忘れずに今日も新たな気持ちでカメラの前に立っているという。
「この仕事をどう自分らしくしていくかは永遠のテーマです。ネットやラジオもある今の時代、テレビの天気予報もエンターテインメントであるべきだと僕は考えています。
外からの中継で現地の空気感を伝えたり、絵や模型で天気を解説したりと、自分だからできるプラスアルファを伝えられるお天気キャスターでありたいと思っています。資格取得は出発地点にすぎません。
真剣に取り組めば、必ず新たな道は拓けるはずです」
更新:11月13日 00:05