
長らく治療困難と思われていた「腹膜播種」。だが近年、新たな希望と言える治療法が広まりつつあるといいます。医療ジャーナリストの木原洋美さんに解説していただきます。
※本稿は、『からだスマイル』2026年9月号の内容を一部抜粋・再編集したものです。
※写真はイメージです。
患者を絶望させない 新たな治療拠点誕生
胃がん・大腸がん・卵巣がんなどで「腹膜播種」が見つかると、日本では多くの患者が「有効な治療は難しい」と告げられます。腹膜とは、胃や腸などの内臓を包んでいる薄い膜のこと。広げるとなんと畳1畳くらいの面積となります。腹膜播種は、原発のがん細胞がお腹の中にこぼれ落ち、腹膜全体に“種をまく”ように広がる病態を指します。診断が難しいうえに、手術も抗がん剤も効きにくいことから、長年「治療困難」とされてきました。
しかし「治療困難」というのは、あくまでも“標準治療の範囲では”という意味。医療は日々進歩しており、世界では腹膜播種に挑む新たな治療法が次々と考案されてきます。ただ日本ではなかなか、そうした最新の情報が現場の医師や患者のもとに届きにくいため、「腹膜播種=治療の終わり」のように思われてしまいます。
こうした“情報の壁”を壊すため、2026年1月、国立国際医療センターに「腹膜センター」が開設されました。
消化器外科・腫瘍内科・産婦人科・麻酔科など複数の診療科が連携し、腹膜播種などの腹膜疾患を専門的に診る国内でも数少ない拠点です。
同センター長に就任した合田良政医師は言います。
「腹膜播種は確かに手強い。しかし世界では治療の挑戦が続いているのに、日本では“治らない”という思い込みが根強いために、希望があることを知らないまま、亡くなっている患者さんが少なからずいます」
欧米で普及するPIPAC 絶望を希望に変える選択肢
腹膜センターが今、取り組んでいるのが欧米で急速に普及する新しい治療法「PIPAC」です。正式名称は「加圧腹腔内エアロゾル化学療法」。手術で腹腔内の病巣をできる限り切除した後、抗がん剤を霧状にして噴霧する、物理学的に進化した腹腔内化学療法です。
PIPACの特長は大きく4つ。
・霧状(5〜50ミクロン)にすることで腹膜全体に均一に届く
→液体の抗がん剤では入り込めない腹膜の凹凸にも薬剤が行き渡ります。
・腹腔内を加圧(10〜12mmHg)することで浸透深度が3〜10倍になる
→薬剤が腹膜表面に押し付けられ、より深く浸透します。
・抗がん剤は全身投与の5〜10%の低用量で副作用が少ない
→効かせたい場所には濃く、全身には薄く、という理想的な分布が得られます。
・切開せず腹腔鏡で行なうため、6〜8週間ごとに繰り返し施行できる
→腫瘍の進行抑制、全身化学療法の補強、状態改善後の手術への橋渡しなど、治療戦略の幅が広がります。
欧州ではすでに卵巣がん・胃がん・大腸がんの腹膜転移に対して臨床応用が進み、腫瘍縮小や症状改善の報告が増えています。
「まずは日本で安全に施行できることを証明し、先進医療につなげたい」(合田医師)
これまで腹膜播種は“諦めるしかなかった”日本で、〈公的病院がPIPAC導入に挑むこと自体が、大きな希望〉といえるでしょう。
情報が届けば救える命がある 諦める前にまず相談を
腹膜播種の患者が最初に直面するのは、「どの診療科に相談すればいいのか分からない」という壁です。腹膜疾患は有効な標準治療が定まっていないため、消化器外科・腫瘍内科・産婦人科など担当が分かれ、治療の遅れや選択肢の見落としが起こりやすい領域でもあります。
さらに深刻なのは、主治医自身が新しい治療の存在を知らないケースです。
「私は年間150件のセカンドオピニオンを受け入れていますが、紹介状を書いてもらえず来院が遅れてしまう患者さんが後を絶ちません。もっと早く来てくれたら助けられたかもしれない症例もあります」(合田医師)
腹膜センターは、国立の医療機関として、患者だけでなく全国の医師・医療機関へ向けて情報提供を行ない、治療機会を逃す患者を減らすことをめざしています。
もしもご自身や大切な人が腹膜播種と診断されて、主治医から「なすすべなし」と宣告されても、どうか諦めないでください。信頼できる、諦めない医師たちが提供する治療が、日本には存在します。
まずは腹膜センターで、セカンドオピニオンを受けること。それが、未来を切り拓く第一歩になります。
◎監修・合田良政医師(国立国際医療センター 腹膜センター長・腹膜外科医長)