
中村江里の『戦争とトラウマ――不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館)は、これまで日本社会において意図的に忘れ去られてきたアジア・太平洋戦争下の日本兵が経験した精神的苦痛という、極めて困難な主題に果敢に挑んだ画期的な研究である。歴史学者である中村は、特に日本近現代史とジェンダー史の視座から、この複雑な問いへと深く切り込む。
本書執筆の背景には、日本の戦争研究が、空襲や原爆投下といった「被害」の側面、あるいはアジア諸国への「加害」の側面からは手厚く論じられてきた一方で、戦闘行為の主体であったはずの日本兵自身の「心の傷」については、公的な言説としてほとんど成立してこなかったという根深い問題意識が存在する。
欧米諸国では、ベトナム戦争帰還兵の苦悩などを通じて心的外傷後ストレス障害(PTSD)の研究が早期から発展したのとは対照的に、日本では1995年の阪神・淡路大震災という大規模な自然災害を契機として、ようやくトラウマ概念が社会的に認知されるようになった。
本書は、この80年近くにわたる「沈黙」が、単なる偶発的な忘却ではなく、特定の社会的・文化的メカニズムによって能動的に構築された「不可視化」の結果であったことを精緻に解き明かそうと試みる。その核心的な主題は、なぜ日本兵の戦争トラウマは語られ得なかったのか、その沈黙の構造を歴史的に詳細に解明することにある。
本書の論証は、この「不可視化」の構造が、戦中から戦後へとどのように連続的に引き継がれていったのかを丹念に解きほぐす構成を取る。中村はまず、戦時下の日本軍内部において「戦争神経症」と呼ばれた精神疾患がどのように扱われたかを、膨大な医療アーカイブズや当時の軍医の記録、さらには兵士自身が残した病床日誌といった多様な一次資料を駆使して明らかにする。
これらの資料から浮かび上がるのは、極度の恐怖や過剰なストレスに起因する精神の変調が、公務による名誉ある「傷」とは一切見なされず、むしろ個人の「臆病さ」や「脆弱さ」の表れ、あるいは軍の規律を乱す「伝染病」のようなものとして、厳しく管理され、徹底的に隠蔽された実態である。
精神疾患を患った兵士たちは差別と排除の対象とされ、その存在自体が「皇軍」の強固さという神話を脅かすものとして、国民の目から周到に隠されていたのである。中村は、この戦中の隠蔽構造が、戦後の社会構造へと如何にシームレスに引き継がれたかを巧みに論証していく。
戦後社会において、復員兵たちは戦場での過酷な体験を語ることを強く禁じられた。それは、戦場での体験、特に他者を殺傷したという加害の記憶や、死の恐怖に怯えたという記憶が、戦後の平和主義的な価値観や、復興を目指す社会のなかで「恥ずべき」記憶として烙印を押されたからである。
さらに中村が鋭く指摘するのは、この沈黙を強いた最大の要因の一つが、「男らしさ」や「男性性」という強固な社会規範であったという点である。戦場で恐怖に苛まれ、心を病んだという事実は、「強くあるべき日本男性」という自己像と矛盾するだけでなく、社会が彼らに期待する「家長」としての役割とも相容れなかった。このため、兵士たち自身が「恥」の意識から自らの体験を内面に深く封印し、その語りを断念していった。
しかし、語られなかったトラウマが消滅したわけではない。この語り得なかったトラウマが、戦後家族の内部で形を変えて「持ち替え」られ、家庭内暴力やアルコール依存症といった別の形で噴出したことは、近年多くの当事者の語りの中で明らかになりつつある。社会的に承認されなかった心の傷は、最も身近な他者である家族、とりわけ妻や子供へと向けられ、そこで破壊的な影響を及ぼし続けたのである。
中村の緻密な分析は、日本社会におけるトラウマの発見がいかに遅れたかを鮮やかに浮き彫りにする。ジュディス・ハーマンがその著書『心的外傷と回復』で示したように、トラウマからの回復には、安全な環境で自らの体験を語ること、そしてその語りが社会的に聴かれ、承認されることが不可欠である。
しかし、戦後日本社会は、復員兵たちに対してその両方を提供しなかった。社会は彼らの苦しみを「個人の問題」あるいは「家庭内の問題」として外部化し、その結果、トラウマは世代を超えて連鎖する負の遺産となってしまった。
本書は、この歴史的経緯を緻密な構造分析によって詳細に描き出すことで、日本社会がこれまで真摯に向き合ってこなかった戦争のもう一つの側面を可視化する。それは単なる過去の告発に留まらず、現在進行形で続けられている戦争トラウマの調査や、あるいは現代社会における職場のメンタルヘルスの問題にも通底する、社会的な記憶と忘却の政治学を問い直す試みである。
本書の最大の価値は、その徹底した論証プロセスを通じて、歴史叙述が持つ社会的な影響力と、過去の出来事が現在に及ぼす影響を再確認させる点にあると言えよう。
更新:11月04日 00:05