
「弱者男性」や「インセル」といった言葉が社会的に流通し、一部の男性が抱える困難や孤立が、ジェンダーをめぐる喫緊の論点となっている。
周司あきらの『男性学入門』(光文社)は、こうした混迷した状況に対し、男性を単純な「加害者」または「被害者」のラベルに押し込めるのではなく、「男らしさ」という規範が持つ構造的な問題を分析するための視座を提供する。本書は、その規範が男性自身にもいかに抑圧的に作用するかを解き明かし、そこから意識的に離脱するための思考を促す一冊である。

本書の分析の起点は、「男性史」という歴史的アプローチにある。これは、男性が中心となって構築してきた歴史を、ジェンダーの視点から批判的に検証する試みだ。その中で、男性以外の存在がいかに周縁化されてきたかと同時に、男性自身がいかに特定の役割へと鋳造されてきたかを考察する。
その具体的な論証として、旧日本軍と戦後日本の精神的な連続性が挙げられる。軍隊組織は、「弱さ」の表出を一切許容せず、暴力を内包する極端な男性性の発現の場であった。
戦後、この戦時下の精神構造は十分に清算されることなく、経済成長を至上命題とする社会へと持ち越された。戦争のトラウマに向き合う代わりに、自己犠牲的な労働による「贖罪」が奨励され、国家への滅私奉公は「企業戦士」という形で再生産された。結果として、過労死や家庭内における暴力といった問題が頻発する。
これらは、根底に「ウィークネス・フォビア(弱さへの恐怖)」とも言うべき強迫観念が存在し、戦時下の動員構造が形を変えて継続したことを示している。PTSDという概念が1980年代になってようやく発見されたことは、まさに男性優位社会が「弱さ」と向き合うことを拒絶してきたことを端的に表す事実であろう。本書は、現代の労働や家庭に見られる個人の問題が、この歴史的構造と分かちがたく結びついていることを論じている。
では、「男らしさ」はいかに維持され、また、すべての男性に等しく作用するのか。本書は、そのメカニズムを「ホモソーシャル」の概念を用いて説明する。
イギリス文学研究者のイブ・セジウィックが提起したジェンダーにおける非常に重要な概念だが、女性や「女らしさ」と見なされるものを排除・蔑視することで成立する、男性間の閉鎖的な連帯を指す。この集団内では、感情の吐露や弱音といった行為は「男らしくない」逸脱と見なされ、規範が内面化されていく。
近年では「ホモソーシャル」という単語が「男の子社会」程度のニュアンスで広く使われることも増えているが、実際にはこのような不断の排除と結合による男性性の維持プロセスを指して使われる用語であることには注意されたい。
さらに本書の分析の核心には、社会学者レイウィン・コンネルが提唱した「マスキュリニティの複数性」という視座がある。「男らしさ」は一枚岩ではなく、社会の中には複数の男性性が階層的に存在すると捉えるのだ。
その頂点に位置するのが、その社会で最も理想的とされる「ヘゲモニック・マスキュリニティ(支配的な男性性)」である。そして、その支配的な男性性を補強し、そこから利益を得る「共犯的な男性性」、ヘゲモニーから逸脱するために従属させられるゲイ男性などの「従属的な男性性」、人種や階級によって周縁化される「周縁化された男性性」が併存する。
この理論的枠組みを用いることで、「男の中の格差」は、単なる経済格差や個人の資質の問題ではなく、どの「男性性」を体現しているかによって序列化される、構造的な問題として浮かび上がる。
多くの男性は、支配的な男性性の理想像を達成できないまま、その規範から降りることもできずに苦しむ。男性というだけで特権的な立場にあると同時に、男性性のヒエラルキーの中では収奪される側にもなりうるという、複雑な状況がここから見えてくる。
これらの分析を踏まえ、本書は「男らしさ」の規範から降りるための思考を促す。それは、ヘゲモニック・マスキュリニティが価値の低いものとして排除してきた「弱さ」や不完全さ、他者への依存を、自己の一部として引き受けることから始まる。
もちろん、本書はあくまで「入門書」であり、男性性の問題が階級、人種、障害といった他の社会的属性とどう交差するのか(インターセクショナリティ)という点については、今後のより専門的な議論に委ねられている部分もある。また、本書が提示する方向性が、依然として旧来的な「強さ」を求める社会の中で、個人にとってどれほど現実的な選択肢となりうるのか、という実践面での困難も残るだろう。
『男性学入門』は、そのタイトル通り優れた入門書であると同時に、専門的な読者の批判的検討にも耐えうる、懐の深い一冊だ。感情的な対立に陥りがちなこのテーマについて、コンネルの理論をはじめとする社会科学の知見に基づき、冷静な対話の土台を提供した功績は大きい。本書が提示した論点を足がかりに、さらに多様で具体的な議論が展開されていくことが期待される。
更新:10月04日 00:05