THE21 » カルチャー&トレンド » 幼い娘とピカソには何が共通する? 「自分なりの見方」の見つけ方

『「いまを生きる力」を取り戻す 感性の教室』(ダイヤモンド社)の著者で、アート教育実践家/アーティストの末永幸歩氏。年齢とともに「昔ほどワクワクしない」と感じる大人が、日常の中で感性を取り戻すには、どうすればよいのか。子どもの視点から学べることや、仕事にも応用できる「アウトプット鑑賞」の方法について聞いた。
ーー40〜50代になると、「感性が鈍ってきた」と感じる人もいると思います。その背景には、何があるのでしょうか。
【末永】50代に限らず、多くの大人に共通する感覚なのではないかと思います。原因はいろいろ考えられますが、私自身の実感としては、仕事で忙しいと、感性を働かせる余裕がなくなるということはありますね。
もう一つ気になっているのが、スマートフォンやパソコンの画面に向き合う時間です。仕事で情報を調べたり、AIを使ったりすることは必要です。ただ、少し時間ができても、すぐにSNSなどを見てしまう。隙間の時間まで吸い取られることで、感性を働かせるための余白が少なくなっていると感じます。
多くの人が「時間が消えていく」と感じながらも、なかなか変えられないのかもしれません。まずは、その時間の使い方に意識を向ける必要があるのではないでしょうか。
ーーそもそも、末永さんの考える「感性」とは、どのようなものですか。
【末永】私は、感性とは「見ること」だと考えています。
前著の『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)では、アーティストの創作活動を、「自分なりのものの見方で世界を捉え、自分だけの答えをつくり、新たな問いを生み出すことだ」と分析しました。その出発点にある「自分なりのものの見方で世界を捉えること」が、感性を働かせることなのだと思います。
ただし、ここでいう「見る」は、物事を客観的に観察するという意味だけではありません。視覚に加えて、匂いや音、身体の感覚など、全身の感覚を働かせて捉えることです。さらに、目には見えないものまで、想像を働かせて捉えることも含みます。
画面から得られる情報は、そうした世界からの働きかけのほんの一部です。自分の感覚や心、想像力も使って世界を受け止めることを、私は「見る」と表現しています。
ーー新しいものに触れてもワクワクしないのは、目の前のものを十分に見ていないからなのでしょうか。
【末永】原因を一つに突き詰めることはできませんが、その可能性はあるでしょう。
『感性の教室』の冒頭で、娘とのエピソードを書きました。夜間、娘を自転車の後部座席に乗せて自宅に帰る途中、娘が月を見て、「ハムスターがいる」と言ったんです。
月のグレーの部分を、家で飼っていたねずみ色のハムスターに見立てて、「駆け回っている」と想像していたんですね。それまで月の模様について話したこともなかったので、そんなところまで見ていたのかと驚きました。
一方で、私はどうだったか。娘に月を見せてあげたいとは思っても、自分自身が立ち止まって、最後に月を眺めたのはいつだっただろう、と気づかされたんです。
大人は「月は月でしょう」「いつでも見られる」と考えて、今ここで見ようとしないのかもしれません。心や時間の余裕がないこともあるでしょう。でも、同じ月を見ても、ただ「月だ」と思うのと、ハムスターが走り回っていると想像するのとでは、その人にとっての面白さはまったく違います。
これは、月に限った話ではありません。目の前の人やもの、状況を型にはめて捉えてしまい、十分に見ていないからこそ、「つまらない」「ワクワクしない」と感じることもあるのではないでしょうか。
ーー大人が感性を取り戻すうえで、子どもの見方は参考になりますか。
【末永】『感性の教室』では、感性の扉を開くきっかけを、アーティストと子どもの両方に求めました。
モネやピカソのようなアーティストは、自分なりのものの見方を探究し続けています。一方、子どもは「感性を高めよう」と意識しなくても、自然に自分なりの見方や感じ方でものを捉えています。
娘が月の模様をハムスターに結びつけたのも、目で見るだけでなく、自分の心や想像力を働かせて対象を受け止めていたからだと思います。ただ、子ども自身は、そうしていることを認識していないでしょう。
だからこそ、傍らにいる大人が、子どもの発言やしぐさの裏側にある見方を掘り下げ、「この子は、どういうふうに世界を見ているのだろう」と考えてみる。私は、それを言語化したいと思いました。そこから、大人が感性を取り戻すヒントも得られるのではないかと考えています。
更新:11月05日 00:05