THE21 » カルチャー&トレンド » 武藤敬司は木村政彦に師事していた!? vs力道山の一考察も
2026年10月13日 公開

木村政彦vs力道山は、なぜ今なお語り継がれるのか。
※本稿は、Gスピリッツ編集部 著『Gスピリッツ選集 第三巻「武藤敬司」』(辰巳出版)の内容を一部抜粋・編集したものです。
※初出:『Gスピリッツ』2012年6月号「戦評―“昭和の巌流島”力道山vs 木村政彦」
【武藤】昔、柔道をやっていた時に木村先生の指導を受けたことがあって、高校時代に3~4回はお会いしているんですよ。
ちょうど『空手バカ一代』なんかにハマっていた時代に、その中にも登場する木村政彦が来たわけだから興奮するよね。当時の木村先生は拓殖大学の柔道部の監督で、もう還暦は過ぎていたと思うけど、やっぱり「昔は凄い強かったんだろうな」というオーラはありましたよ。
この一戦は「これが事実だ!」みたいなことがいろいろ語られる伝説の試合だけど、最後の場面に行くまでは、この展開からどう決着つけようとしているのかイマイチ見えてこないよな。今のプロレスと違うからさ。当時のプロレスは突発的に終わっていたんだろうなというのは、想像できるよね。
だって、この試合にしたって、どう相手を追い詰めていくかという戦略、組み立てが見えないんだよ。きっと終盤で木村先生が動けなくなっちゃったフロントネックロックで終わったとしても、お客は不満を言わないんじゃない?
まだプロレスが日本に入ってきたばかりの時期だから、きっと試合の過程や中身を楽しむというのは、まだ観る側になかったと思うよ。ある意味、いい時代といえば、いい時代ですよね。お客さんは勝敗だけに集中してくれているから、やる側としたら、とりあえず勝ちゃあいいわけだからさ。俺らが言うサイコロジーは必要なかったかもしれない。
まあ、この試合は〝柔道の木村〟と〝相撲の力道山〟の対決というニュアンスが強かっただろうから、お互いに倒れることを毛嫌いしているような展開だよね。そんな中でも力道山の方が人に見られている意識というかさ、人にどう見せるかということには長けていたと思うよ。
何気なく相手をカナディアン・バックブリーカーの形で持ち上げてエプロンに下ろす場面があったけど、あれも視覚的にはお客を驚かせる見せ場でもあるし、暗に木村先生との格の違いを見せているよね。終盤の空手チョップの構えもそうだよ。「行くぞ!」と見せているだけで、当たる距離になっても打ちに行かないもん。
【武藤】きっと木村先生の方が純粋というか、ストイックなんだよ。もっと武士的というかさ。だから、木村先生は「力道山のプロレスはジェスチャーの多いショーだ」と言ったんじゃないの?
でも、実際にはプロレスのサイコロジーという面では力道山の方が長けているんだよね。だから、日本にプロレスという新しいものを持ち込んで成功したんだと思うよ。試合をするプレイヤーとしてはもちろんだけど、興行の仕組みやプロデュースの仕方までプロレス全体の仕組みを丸ごと学んで、ひとつのビジネスとして日本に持ってきたわけだからね。
木村先生はプロレスを始めたのは力道山より早かったのかもしれないけど、競技としてのプロレスしか頭になかったんだと思うよ。木村先生は柔道家として凄く強くて、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われていたくらいだから競技者としてのプライドが強かったんだよ、きっと。
柔道という括りの中では、最強だったはずなんですよ。柔道に関しては、本当にストイック。ただ、逆に言ったらプロレスはそこから外れている世界だから、その脆さがあったかもしれないですね。
でもまあ、残っている映像は木村先生が攻められているシーンばっかりだよな。これ、やっぱりかなり編集されているよね?
中盤の木村先生が腕緘み(ダブルリストロック=チキンウイング・アームロック)に行って、力道山が
堪えるシーンの最後の方もカットされてない?そこを見たかったよ。だってアレ、木村先生の得意技だからね。
どっちが強かったかという比較は難しいよ。やっぱり、それぞれに特性ってものがあるよね。柔道をやっていた側からすれば、寝かせてしまえば腕を取るだけじゃなくてチョークもあるよね。
昔の柔道だったら足関節...足緘み(ヒールホールド)もあっただろうし。木村先生は、寝技がメチャクチャ強かったというしね。寝技ばっかりの高専柔道というのでも強かったって聞いてるよ。
更新:10月13日 00:05