THE21 » カルチャー&トレンド » 田舎の柔道少年だった武藤敬司 猪木より相手を応援してた幼少期
2026年10月12日 公開

柔道少年だった武藤敬司は、アントニオ猪木vsウィリエム・
※本稿は、Gスピリッツ編集部 著『Gスピリッツ選集 第三巻「武藤敬司」』(辰巳出版)の内容を一部抜粋・編集したものです。
※初出:『Gスピリッツ』2009年6月号「戦評―アントニオ猪木vs モハメド・アリ」
ーー武藤さんがプロレスを観るようになったきっかけは、この一戦の4ヵ月前、76年2月6日に行われたアントニオ猪木vsウィリエム・ルスカ戦だったと聞いていますが。
【武藤】うん、俺はルスカを応援していたよね。あれはプロレスvs柔道という形だったでしょ。俺、小学校2年から柔道をやっていたから。始めたきっかけは、『柔道一直線』かな。
俺らの時代はアニメーションから入るから、『空手バカ一代』にも感化されたよ。でも、住んでいたのが山梨の田舎だから空手なんてないじゃん。柔道の方が身近だったよね。
ーープロレスラーには憧れなかったんですか?
【武藤】プロレスというのは、やっぱりファンタジーの世界だったね。あくまでもブラウン管の中の世界という感じで。身近にないもん、プロレスというものは。
今でこそブラウン管の中の人たちも身近になっちゃって真のスターと呼べる人はいないし、プロレスでも総合格闘技でもピンで客を呼べる人材が段々いなくなってさ。新たなスターを作るのは難しい状況だけど、当時はプロレスラーになりたいというのはウルトラマンになりたいというのと同じ感覚だよね。
ーーでは、柔道をやっていた武藤少年の目に猪木vsルスカは、どう映りましたか?
【武藤】当時は、〝あんなバックドロップで何で柔道家が...〟なんて思ったりして。
ーー最後は、猪木さんがバックドロップ3連発で勝利しました。
【武藤】〝柔道だって裏投げがあるんだからさ〟と思ってたよ。逆十字にしても、かなりの実力差がなければ腕を戻せないからね。当たり前じゃん、背筋力と腕の力が違うわけだから。
ーーじゃあ、納得がいかなかった?
【武藤】当時はね。ただ、またそこにファンタジーを感じたし。逆に言うなら。
ーーその頃、柔道をやりながら、〝一体、どの格闘技が一番強いんだろう?〟という疑問なり、興味なりは持ちました?
【武藤】ガキの頃にテレビで『姿三四郎』がやっていて、空手とかがヒールになったりして…でも、おそらく一競技をやっている人はね、どの格闘技が一番強いかなんて思わないですよ。例えば、俺は柔道をやっていたけど、メチャクチャ強かったわけじゃなくて、先輩の方が強いわけであって。
そんな俺より強い人がナンボでもいる中で、〝空手とやったら、どうやって勝つか?〟なんて思ったらチャンチャラおかしいって。本当に強い人は強いよ。何をやっても勝てない、柔道というカテゴリーの中だったら。だって、こっちは立っていられないんだからさ。
いや、俺もメチャクチャ強かったとは言わないけど、中学3年の時には県で一番強かったし、関東大会に行っても、そこそこ強かったんだよ。しかも、指導者がいない中でだよ。普通に学校の柔道部でやっていてだからね。
ーー高校生の時には、木村政彦さんに会われていますよね。
【武藤】山梨は国体とかがあるから柔道連盟と関係の深い企業があって、そこと拓殖大学のコネクションが強くてね。拓殖大学の合宿というと山梨に来ていたから、そこで一緒に練習をやらされましたね。
ーー直接、柔道を教わったんですか?
【武藤】教わったというか、打ち込みの受けぐらいはしたことがあるよ。ゴツイって感じがした。あの人はまさしく、その時代の本当のパワー柔道という感じだったんだろうね。本来の〝柔よく剛を制す〟とは逆の〝剛よく柔を断つ〟という柔道をやっていたんじゃないかなって組んでいて思いましたよ。
それに教えることがそういう感じだもん。あとは〝普通の人が1時間やるんだったら、俺はドン臭いから2時間は普通だし、3時間ぐらい練習した〟とか言っていましたね。
ーープロレスの話はしていましたか?
【武藤】していましたよ。その時、俺もちょっとプロレスに興味があったからね。どんな話?言えねえよ(苦笑)。ただ、力道山戦のこととかには一切触れられない。周りの人が〝その話は絶対にするな〟という感じだったから。
極真空手の大山倍達さんの話はちょこっと聞いたというか、木村先生から話をしていたけどね。プロレスは好きじゃなかったですね、おそらく。
更新:10月13日 00:05